岡山西大寺病院長に就任しました花川です。小林直哉理事長とともにマンパワーを充実させ救急医療の強化、安心安全な医療の提供に力を入れてまいります。特により早い社会復帰と獲得したレベルの維持のため、リハビリテーションの強化と継続に取り組みます。また、生活習慣病、ロコモティブシンドローム(運動器症候群)への対応、寝たきりにならないための予防や運動指導には重点的に取り組みます。時には病院から飛び出して、介護支援など地域のみなさまの安寧な生活の温かい援助を行えればと考えております。みなさまどうぞよろしくお願い申し上げます。
「甲子園球場観戦記」
5月18日阪神-広島観戦のため甲子園球場に出かけました。
過去1回訪れたことがあります。
昭和36年(中学1年生春)の選抜高校野球大会開会式の時です。入場式で、全出場校が外野に整列、花火が走り出場校の垂れ幕がロープに現れ、花火の煙の中を一斉に選手がホームプレートに行進して行くシーンが記憶に残っています。行進曲はバッファロー大隊マーチでした。
新神戸~三宮から阪神電鉄で甲子園駅に降り立ちました。記憶にある通り、駅南側に球場がありましたが、壁の緑の蔦は改装を行ったためか、少なくなっていました。入場後、三塁側スタンドに出た時の印象は「やはり広いなー。きれいだなー」でした。ただ前回の時ほど、広さは感じませんでした。
仲間3人と着席、早速弁当とビールを購入、飲みながら、食べながら広島カープのバッティング練習を見始めました。どこまで飛ばすだろうか、どれだけ鋭い打球を打つだろうか、選手個々にゆっくりみることが出来、試合とは違う楽しみがあります。鈴木、バティスタの打撃練習は終わっていたのか、見ることが出来ませんでした。3年前マツダスタジアムでバティスタのフリーバッティング、半数がフェンス越えのホームラン、その再見を期待していたのですが、残念。
試合前のグランド整備をみて「すごい」と思いました。有名な阪神園芸の人達が、人・車両を使って何度も何度もはけ・トンボをかけて整備して行きます。土のグランドがほんとうにきれいになります。更に試合直前に散水して土を落ち着かせます。ここまでくると芸術です。
14時試合開始です。1回表、広島・西川のスリーランホームランで3点先取、その後は大きな盛り上がりもなく試合が進みました。6回表バティスタのレフトスタンド上段に突き刺さる弾丸ライナーホームランにはびっくりしました。
スタンドは赤(広島)、黄色(阪神)で埋め尽くされました。当然黄色が数のうえでは断然優勢ですが、服の白色と重なって、赤ほど目立ちません。試合経過もあり、赤の圧勝でした。広島ファンの私には最上の野球観戦となりました(今回世話をしてくれた阪神ファンのH先生には申し訳ない)。
<追伸>
マツダスタジアムの切符入手は不可能に近く、これからは甲子園球場観戦になりそうです。H先生よろしく。
「涌井のストレート・・・投球雑感」
第83回院長コラムに「私が野球投手の中で<軸がぶれずに、すっと入ってピシッと投げる>投手として、全盛期の西武涌井をあげました。全盛期とあえて挙げたのは高校時代、西武時代の涌井しか知らず、最近彼の投球を見たことが無く、もう衰えているだろうと勝手に思っていたからです。4月16日ロッテ対ソフトバンクの試合のビデオを見てびっくりしました。力強さは全盛期ほどではありませんが、投球フォームは相変わらず美しく、腕の振りが一定で、「ピシッと伸びてゆくストレート」は「これこそ本当の直球」です。彼のような質の良いストレートを投げる投手が少なくなりました。「投球の基本は外角低めのストレート」の教科書そのものです。
投球の腕の振りの速さ(スイングスピードとしますが)は、各自それぞれです。ある投手がスイングスピードを速くすれば、速い球が行くというのは、一般的には合っています。スイングスピードの速い投手の方が、遅い投手よりも速い球が行くというのも合っているでしょう。しかし投手個人は、それぞれ、自分に合ったスイングスピードがあることを理解しなければなりません。ゴルフでタイガーウッズにはタイガーのクラブスイングスピードがあり、石川遼には石川のクラブスイングスピードがあります。石川選手がタイガーウッズ選手のスイングスピードに迫ろうとすれば、明らかに乱れるでしょう。タイガーが20代のスイングスピード(距離)を求めれば、やはり乱れるでしょう。緩い球を投げようとする時はスイングスピードが遅く、ピンチになった時は力んでスピードをあげようとするのは一流の投手ではありません。力の入れ具合(強弱)はありますが、スピードは各自一定であらねばなりません。
さてこの「一定のスイングスピード」を手に入れるにはどうしたらよいのでしょうか。
これはプロコーチに聞くしかありませんが、私見を述べたいと思います。
まず鍛え上げた体力が必要です。体力強化は、機械・器具を使ったウエイトトレーニングと野球の練習によるトレーニングがあります。野球動作は左右非対称の動きです。ですから、ウエイトトレーニングで左右対称にバランス良く鍛えなければなりません。その筋肉を野球仕様にしてゆくのは、やはり野球練習・ランニングしかありません。
先日NHKで、引退したイチロー選手のドキュメント番組への私の感想を紹介します。番組の中で、自宅に設置された機械でのトレーニングが盛んに紹介されました。しかし、もう一方、試合前、球場での地道な準備映像はありませんでした。球場で数時間の準備運動をするとの以前からの報道を、映像に出してほしいと思いました。
「筋力強化ばっかりしている」という誤ったメッセージが伝わらなければよいがと思います。
野手が向上のために、打ち込み数時間、ノック数時間とかの報道があります。昔巨人軍「茂林寺の1000本ノック」とか「恐怖の伊東秋季キャンプ」と報道されたことがあります。要は強制的・自発的(自発的はほとんど無かったでしょうが)に鍛え上げて強くなった歴史があります。現在でも程度の差はあれ、同じようなことが行われています。4年前の広島カープの秋季練習「毎日1000スイングー高校野球のように」なども強打復活に貢献しています。ことほどさように、野手の強化では色々私たち素人にわかる練習が報道されるのですが、投手に関しては意外とありません。
では投手について私見です。
やはり全力での投げ込みでしょう。外角低めのストレートを全力で投げる事でしょう。7-8割の力での投球スイングが理想と言いますが、このスイングを獲得するのは、5-6割から徐々に上げていって、7-8割にするのでは ありません。全力投球から、自然に7-8割に降りてきて初めて、自分のものになると思います。その時には「自分のスイングスピード」が出来上がっているはずです。体力強化を合わせて行いながら修得するしかないと考えます。
「スイングスピードの一定した良質なストレート」の手本が、最初に述べた「涌井投手のストレート」です。
「ハップニングー第8回トマト銀行 6時間リレーマラソン」
第8回トマト銀行 6時間リレーマラソンに今年も参加しました。私自身5回連続の参加です。
天候は晴れ、最高の走り日和です。8時過ぎ、スタジアム下のいつもの場所に集合、当院今年は4チーム37人の参加のため、昨年の約2倍のブルーシートを敷き、場所が確保されていました。若い女性の参加(17人)が目につき、名前は約1/3の人しか分かりません。おいおいに覚えていけばよいと決め、雑談しながら出発時間を待ちます。
10時のスタートを見ました。バックストレートに並んだ第一走者の群を見てびっくり、昨年より明らかに増えています(この時点では、参加チーム数はわかっていませんでした)。バックスタンドの人数もいつも以上に多く感じられました。ゲスト前園真聖さんの激励トークの後、10時号砲スタート、100m競争のように飛び出す人たちを見て、すごいの一言です。
私は「花川チーム」の第5走者です。初めての人にタスキの受け渡しの手順を教えます。我々の待機場所はIゾーン、「IゾーンとJゾーンとの境界部」と決めました。
開始後しばらくして、IさんがSさんと一緒に帰ってきて謝っています。Sさんの手には、美味しそうなクレープ2つ、Iさんのおごりだそうです。聞いてみると、待機場所にIさんがおらす、Sさんがもう1周走ったのだそうです。Sさん、若いですから平気で、クレープをおごってもらってラッキーという顔をしています。うらやましいかぎり。ハプニングは私にも起きました。3回目の引き継ぎに、次走者が見つかりません。まだ余力あり「もう1周行こう」と決め、走り始めました。しんどいかと思いましたが、1周目より楽で、すいすい(人から見ればとぼとぼ)と走れました。岡山マラソンに向けて良い練習が出来ました。
不思議なことですが、6時間という時間が決して長く感じられません。1時間強に出番があり、間は、休み、出店の食事を楽しみ、お菓子を仲間と喋りながら楽しみます。
4チームとも無事完走、最強チームは職場対抗465チーム中45番、その他3チームは「参加することに意義あり」とします。
<追伸1>
参加チームは初めて800を超え841チームでした
<追伸2>
焼肉での懇親会、何よりの時間でした
「新野球コミュニケーションズ雑感」
名越、島村先生が世話する新野球コミュニケーションズ研究会に参加しました。目的は、スポーツ選手の食事の講演を聴きたいと思ったからでした。内容は、基本的なものでしたが、①三食をきっちりと食べる。欠食はしない ②バランスよく食べる。エネルギーを生み出すには単一の栄養素だけではだめで、ビタミンなどが大切である ③睡眠は夜10時からー朝2時頃が、成長ホルモンの分泌が良い などで、改めて「当たり前」の大切さを再確認でき、有意義な時間を過ごしました。
研究発表の時、ある方が「野球で、軸、軸と言われるが、軸ってなにですか?軸がぶれるって何ですか?」と質問されました。「軸?」改めて問われてみると、視感覚的なもので、とっさに説明が出てきません。
「軸」について、今までの経験・感覚を整理してみたいと思います。
軸と言われて、すぐ思いついたのは「独楽の軸」です。良い独楽は、高速で回転し始めると、軸が直立し安定します。この形が最も効率よく、力強くもあります。
次に思いついたのがゴルフのスイングです。プロのスイングと素人のスイングを頭に描けば一目瞭然、プロのスイングは回転に入ってからは頭が動きません。それが、滑らかなスウィング・大きなフォローに通じます。安定と力が発揮できるのだと思います。野球のバッテイングスイングも同じイメージです。過日マツダスタジアムで、阪神・広島の選手の試合前バッテング練習を観る機会がありました。好打者はこの軸が崩れないなーと感心したことを思い出します。試合になれば、投手はこの軸を崩そうとしますから、練習の積み重ねで克服してゆかなければならないのだと思います。ここまでの軸はもし計測機械で測定すれば、多分一軸に近く、数値・グラフ・立体図が出るような気がします。
さて、投手の投球軸?です。投球は、ねじり・屈伸などの要素があり、多軸?と想定できますが今まで述べてきた軸のイメージとは異なり、計測データでは証明困難と思います。
投球(物を投げる)を考えてみます。静的なダーツから、助走をつけてできるだけ遠くになげる槍投げまであります。野球投手の投球はこの中間にあると考えています。正確さと、力強さが要求されるのです。ダーツ(静的)様であれば、体軸は崩れず正確ですが、強い球は投げることができません。自分の体力を超える無理をして強い球を投げようとすれば体軸(フォーム)が崩れ、正確さが失われてゆきます。私自身は経験・視感覚で判断をしているように思います。投球の際に、身体が流れない、頭・顔を振らない(帽子が飛ばない)、滑らかな腕の振りなどを基準に、「すっと入り、ピシッとなげる」というイメージです。「軸を崩さず、すっと入り、ピシッと投げる」と私が認識しているプロ現役野球投手は、巨人・菅野、全盛期の西武・涌井をあげます。
<夢>
私が「すっと入り、ピシッとなげる」と考える投手を集めて、スポーツ科学の先生方が、投球解析をしてくれたらなー(へぼな投手を集めて解析しても役に立ちません)
「第100回全国高等学校野球選手権記念大会」
「西日本豪雨」
西日本を中心とした大雨により、全国で200人以上の方が亡くなられました。衷心よりお悔やみ申し上げます。被災した地域が広範囲に及び、甚大な被害となりました。被災された皆様には心からお見舞い申し上げます。
岡山県では倉敷市真備町が小田川の決壊により、深刻な被害を受けました。故郷矢掛も小田川が決壊し、被害を受けました。私も後片付けに行きましたが、被害の大きさに呆然といたしました。
いまだ日常は取り戻されておらず、大雨被害に加え、酷暑が襲い、復興は困難を極めています。ボランティアの皆様をはじめ多くの人々のご尽力には、敬意を表します。
ただ、少しずつ、日常を取り戻す歩みも出てきています。
7月25日山陽新聞朝刊一面「真備全域の断水解消 17日ぶり飲用可能に」と報道されています。一歩ずつ復興の歩みが進むことを祈念します。
「安全安心の岡山」「災害の無い岡山」と信じ、どこか油断していた自分がいます。
「災害は常にある」の心を持って、進みたいと思います。
<追伸>
水の怖さにおののきました。後片付けの際、水道から水が出ることのありがたさを痛感いたしました。
「桑の実」
そろそろ梅雨入りの時期になりました。田植えも始まります。
子供の頃、この時期の思い出は、一つは蛍です。故郷矢掛は「蛍の里」と言われています。現在は「宇内ホタル公園」で鑑賞するようですが、小学生の頃、家の裏の星田川のブッシュ1本1本に数十匹の蛍がいて、本が読めると形容できるぐらい光っていました。水田の除草に、薬を使用し始めてから激減していったそうです。矢掛町宇内では、蛍の養殖を地道に行い、美しい景観を残す努力が続いています。
もう一つは、その頃食べた木の実です。ぐいび(びーび と言っていました)、ゆすら(梅)、すもも、そして桑の実があります。「びーび」は、しっかりと熟すれば甘いのですが、たいてい口の中に渋みが残り、あまり好きではありませんでした。親戚に甘くなる「びーび」があったのですが、私たち子供の口には入りませんでした。その点、「ゆすら」は当て外れが無く、すっぱい味覚ですが、すっきりとしていて、種を出しながら沢山食べていました。時にお腹をこわすことがあり、親から「ぎょうさん食べんように」と注意されたのを思い出します。「すもも」もよく食べました。こちらは少し大型で熟していれば、「ゆすら」より甘味があったように思います。夏に食する柘榴がありますが、実は「ゆすら」と同じぐらいの大きさですが、種が大きく身が少ないので、めんどくさく、あまり食べることはありませんでした。
ここまでの実は、食べたことがあるという人がいるのですが、桑の実を食べたと言うと、「桑の実?」と、知らない人がほとんどです。矢掛は、昔養蚕が盛んでした。蚕は桑の葉を食して繭(絹)を造ります。そのため、桑の木が多く植えられ、実は6月ごろ食べることができます。イチゴ様の風貌・大きさで、赤黒く熟します。もう60年も前の話ですから、「甘かった」と言う程度しか覚えていませんが、前記の実と比較すれば数段甘かったように思います。最近は「桑の実のジャム」が造られているようで、過日友人からいただきました(「自家製」が、大変美味しいものでした。
びーび、ゆすら、すもも、桑の実、もう何十年も食べていません。機会があったら、どんな味か懐かしく、食べてみたいと思います。
エルドレッドは広島を愛し、広島はエルドレッドを愛している
6月17日(土)、広島―ソフトバンク第2戦の観戦のため、マツダスタジアムに出かけました。
硬式野球部OB仲間の年一回恒例行事です。
昨年は「鈴木誠也の神がかっている」サヨナラホームラン連発の後に阪神戦を見ました。内野自由席でしたので、11時開門の1時間前から入場門前に並びました。前に約50m以上の列ができており、入場した時には、自由席はもうほぼ満席に近く、やっと座る席が取れました。前回の経験を活かして、今回は開門2時間前に並びましたが、前回ほどではないにしても、ほぼ満席状態でした。
広島カープの人気上昇を感じました。
試合開始は14時、3時間の猶予がありますが、退屈ではありません。広島カープのバッティング練習が始まっていました。注目のバティスタ選手の迫力はすごいものでした。レフト方向はもちろん、ライト方向にも飛ばし、ほぼ半数がスタンドインでした。ソフトバンクのバッティング練習は、こじんまりとしていて、スタンドインする選手はあまりいませんでした。
ビールを飲み、弁当を食べながらの野球観戦、至福の時です。
14時、初回今宮選手のホームランで試合が始まりました。試合経過は、ソフトー広島 2対0から、広島がエルドレッドの2点タイムリーで同点に追いつき、後半に入りました。8回裏、ソフトバンクは投手が岩崎に変わりました。パリーグを代表する速球派です。その第1球を丸が、ガツーン、センター左に飛び込む勝ち越しホームランです。全員総立ち、スタンドが真っ赤に燃えました。
9回表の攻防は更にヒートアップしました。クローザー今村がマウンドへ、先頭打者を簡単に打ち取りました。この回が始まる時、一つの疑問がありました。一塁手エルドレッドを変えなかったことです。従来(昨年まで?)は、守備固めに阿部が一塁に入っていたような記憶でしたから、なぜエルドレッドを変えないんだろうと不安を覚えていました。
次打者の打球はファーストゴロ、緩慢(?)な動きでセーフ、「やっぱし」とつい口に出してしまいました。次の打者は三振、盗塁でツーアウト2塁となりました。ここで、ピンチヒッターの強力なライナーが今村を襲いました。彼の下腿に当たり(抜けていれば当然同点です)横にはね、エルドレッドの前へ、必死にボールを捕球、身体を倒れ込んで手でベースにタッチ、しかしセーフ、ツーアウト3塁1塁となりました。1塁ランナー盗塁、ツーアウト3塁2塁、一打逆転の状況になりました。ここで今宮、痛烈な打球が三遊間へ、阿部好捕、1回転してファーストへ投球、これがライト側に流れ、ショートバウンド、エルドレッド体を一杯に伸ばしナイスキャッチ、間一髪アウト、ゲームセット、全員総立ち、燃えに燃えました。
熱狂カープフアン先輩Mさん曰く「エルドレッドはファーストの練習をしっかりして、最近はうまくなっているんよ。広島が好きで、年棒1億円で頑張ってくれているんよ」。
エルドレッドは広島に愛されていると痛感しました。心の中で「エルドレッドごめん」謝りました。
このような感激は、球場に足を運ばなければ味わえないことでした。
すばらしい一日でした。
今年も置き去りにされました
今年も西大寺マラソンに参加しました。4年連続の参加です。
コースは3km、10kmの2部門ですが、今年から、従来と変わったことがいくつかあります。ます前もって、ゼッケンが送られてきました。これにより、当日の受付が必要なくなりました。受付業務が無くなり、大会運営の方々には負担軽減になったと思います。そして、3kmの部が、A:20分以内で走れる人、B:20分以上40分までの人の2部門になり、スタート時間がそれぞれ8時30分、9時10分となりました。私は当然Bに参加です。小林理事長はじめ14人がB部門に参加しました。
スタート・ゴール地点は、緑化公園、新岡山西大寺病院に挟まれた道路になります。近いので、荷物を病院に置いてスタートが切れます。8時過ぎに会場に出かけました。今年のユニフォームは派手、ユニークで、すぐに当院職員が分かります。A部門には井久保副院長はじめ7人が出場しました。8時30分スタート「がんばれよ!」と声をかけて見送りました。
9時前スタート地点に集合してみると、A部門(216人)に比して参加人数が約4倍(910人)でした。ゆっくり西大寺の町を楽しもうと思っている人が多いのかなと思いました。私も、1km10分ペース、30分を目標にスタートしました。最前列にいた人たちはあっと言う間に消えてしまいました。最初の1km11分で通過、少しペースを上げました。毎年応援してくださるIさんが「先生がんばって」と声をかけてくださり更にペースアップ、1.5kmあたりでN社長が応援してくださりびっくり、快走?を続けます。2km18分で通過、このペースでゴールに向かいます。ゴール前400mあたりで、約100m前方に、昨年私を置き去りにしたF君の歩く姿を発見「今年は追いついて、一緒にゴールできる」と思っていたら、F君、私に気づかず再度走り始め視野から消えてしまいました。
それほど呼吸も乱れることなくゴール、24分1秒 B部門40歳以上で100位でした。「今年も完走できた」と大満足です。
参加数約3千人と小規模ですが、平坦で走りやすく大変家族的なマラソン大会で、来年も参加しようと思います。
北斗七星
心が落ち着きます。
「真心」
1月11日夜帰宅時、岡山西大寺ハローズの駐車場に多くの人が集まっていました。映画の撮影が行われていました。聞くところによると佐藤健、土屋大鳳が来ているとのことでした。
そのことを子供に話すと「すごい!」とのこと、「佐藤健はQ10,るろうに剣心、天皇の料理番などに主演してきた。今が旬、ビック」と教えてくれました。「天皇の料理番?あーっ!あの時見たビデオの主演が佐藤健だったのか」と思い出しました。
昨年5月岡山大学ピッツバーグ大学視察団に加わって米国を旅した時、ANA機中で見た映画の一つでした。Episode7(第7話)で主人公の迫力、そして「真心」という言葉が強く印象に残りました。帰国後、挨拶の時「我々は真心の医療で頑張りましょう」と折々に伝えてきました。
「天皇の料理番」は、大正から昭和の約50年間、宮内省大膳職司厨長(料理長)だった秋山徳蔵の物語です。佐藤健主演のものを含めて現在までに3回テレビドラマ化されています。
Episode7(タイトル:パリと差別と結婚)の印象的なシーンを、you tubeから簡略に紹介します。
舞台はパリ、篤蔵(徳蔵ではなく)はオテル・マジェスチックで小僧として、フランス料理修行中です。同僚の差別にもめげず、料理長に次第に認められ責任ある仕事を少しずつ与えられていました。
ある日、篤蔵愛用の包丁が何者かによって壊されました。日頃から篤蔵を侮蔑していた同僚に詰問しますが、とぼけられ怒りが爆発します。彼を押し倒し、首に包丁をつきつけ、「儂が包丁さばきが何故うまいか教えてやる。日本人は昔から刀で切り会ってきた。相手の首をはねる・・・」
このことで、篤蔵はオテル・マジェスチックを辞めざるをえなくなりました。
粟野フランス大使(郷ひろみ)に相談していたところに、オテル・マジェスチックの料理長が訪ねてきます。彼は、退職を告げに来たのではなく、篤蔵に戻って欲しい気持ちを伝えに来たのです。
料理長「篤蔵の技術はすばらしい。そして、包丁の手入れ、灰汁取り、皿洗いなど、何事にも手を抜かない。手を抜かないということを、日本ではどういうのか?」
篤蔵「真心(sincere heart)」
今年も「真心の医療」で進んでまいりたいと思います。
<追伸>この後、徳蔵は「小僧」から、日本人として初めてユニオン(フランス料理人の組合)の会員になりました。
「健康第一」
新年あけましておめでとうございます。
新病院で初めての新年を迎えました。旧病院は耐震工事が終わり、昨年11月から療養病床として、開院いたしました。
療養病床は、急性期の治療をひとまず終えた患者さんの中でまだ治療の必要な人達のための病床で、腰を落ち着けて長い期間治療を行うことが出来ます。地域の皆様により安心していただける体制が少しずつ整ってきてはいますが、まだまだ足らないところが一杯です。努力を重ね「真心の医療」で頑張ってまいりたいと思います。
1月5日朝5時35分 NHKニュース番組
女性アナウンサー「**さん、今年の目標は?」
**さん「まず健康です」
女性アナウンサー「私もまず健康ですね」
一つは病院の階段の昇りダッシュです。朝出勤時3階自室まで、朝8時の病棟周回時、6階までの階段ダッシュです。もう一つは福(愛犬)を抱えてのジョギング「借り物競争」50mです。福は約7.5kgありますので、唯一錘(福)を使った運動で、いいトレーニングになります(福には迷惑でしょうが)。以前から、時々やってはいたのですが、毎日やってみると、腰周り、尻周りが強く、安定してきたように思えます。
元気にトレーニングできることに感謝しつつ、地道にやって行きたいと思います。
本年もよろしくお願いします。
<追伸>すべての道は、5月日本整形外科学会野球大会(仙台)のマウンドに立つことに通じます。
「第2回 岡山マラソン」
第2回の岡山マラソンに参加しました。とは言っても私が参加したのはファンランです。ファンランとは「fun Running」、文字通り「走りを楽しむ」と言うことで、フルマラソンなどとてもとてもという人でも、走りを楽しむことが出来ます。
ここ数年間、西大寺マラソン(3km)、6時間リレーマラソンに参加してきましたが、今回が最も大きな大会です。参加人数は約16000人、伊原木岡山県知事、大森岡山市長、有森裕子さんなども参加され、岡山県・岡山市をあげての大会です。
フルマラソンは、ジップアリーナ岡山前を出発点に、岡山市南部の西紅陽台を折り返し点に、田園地帯を周遊し、岡南大橋で旭川を渡りその東河畔を北上、岡山城・後楽園を左に見ながら、新相生橋を経て終着点シティライトスタジアムを目指します。ファンランも同じコースを使い、4.5km、市役所が終着点です。
朝7時前、岡山駅から県スポーツ公園に向かいます。人はどんどん増え、公園に着くころには群衆になっていました。簡易トイレ(沢山用意されていました)で,用便をすませ、荷物を預け、8時過ぎスタート地点に向かいました。
スポーツ公園東側の直線道路がスタート地点で、フルマラソンの持ち時間の最も短い人が、Aゾーン、以後持ち時間に合わせてBからEまで区分されています。Eゾーンの人達はおそらく完走5-6時間の人でしょう。私たちファンランは、Eゾーンの後、Fゾーンになります。
8時15分からセレモニー、上空をヘリコプター2機旋回します。いくつかのビルの屋上には、多数のカメラマン、立っている姿を見ると、周囲に柵もなくぞっとします。8時45分スタート、16000人同時、Aゾーンから動き始めます。Fゾーンの我々が走り始めたのは、号砲から10数分も過ぎていました。
済生会病院を左折、就実高校前を通り右折、県立美術館の前で和太鼓の激励を受けます。城下十字路を右折し、岡山駅に向かいます。沿道の人の数も多く、沢山の激励の声が飛んできます。岡山駅を左折、桃太郎通りを南下します。あと約1km、この頃から脚が少し重くなってきました。「そうだ、応援の人の中に知り合いを見つけよう」と思いつつ走ることにしました。脚が軽くなってきたから不思議です。「あら、花川先生!」行き付けの炉端焼きのおかみさんを見つけ「よーっ!」、いよいよ元気が出ます。あと400mの表示で「もう大丈夫」とラストランに入りました。市役所ゴール9時35分、制限時間の3分前でした。完走証と記念タオルをいただき、大満足でした。
<追伸>ファンランを走られた伊原木県知事の元気、軽快さに「びっくりぽん」でした
「宝物」
皆さんには、それぞれいくつかの宝物があると思います。
私の宝物の一つは、昔の新聞記事のコピーです。
「中学時代、花川さんはあの平松(第37回高校野球選抜大会優勝投手、プロ野球で201勝)と投げ合った」と、折おり言われました。そんな事実は無いのですが、あえて一回一回否定するのも煩わしいと思ってきました。
森安(日比中、関西高校から東映フライヤーズに入団、パリーグの新人王獲得)と松岡(倉敷西中、倉敷商高、三菱自動車水島、プロ野球ヤクルト 191勝)とは投げ合ったことはありましたが、平松投手とは投げ合ったことはなく、彼は高梁中学の強打の一塁手?と言う認識でした(ある情報から、そう思い込んでいました)。ですから、「県北西部の高梁中学の平松一塁手を、なぜ高校野球の名門岡山東商がとったのか?」という疑問がずっとありました。
過日、矢掛中学同窓会に出た時、仲間が「志郎さん、優勝した時の記事があるけど、いるか?」と問いかけてきましたので「いる」答えました。
後日その記事のコピーを送ってきてくれました。昭和36年11月3日、11月8日の山陽新聞のスポーツ記事でした。第3回岡山県中学校秋季野球大会の記事(①)です。この大会で優勝(記事④)したことは覚えていましたが、新たな発見がありました。
平松投手がこの時高梁中学のエースで大活躍していることです。一回戦で、その頃私が最強と思っていた倉敷西中(当時、県N01大源投手を擁し、松岡投手は遊撃手で4番です)に2対1で勝ち(記事②)、準決勝で日比中(対戦相手は森安投手です)を1点に抑えています(記事③)。全然知らなかったことです。「これなら岡山東商が取りに行くわ」と納得しました。
平松、松岡、森安(同級生になります)の3大投手と一緒に載った記事は私の宝物です。
<追伸>大学に入り、硬式野球部に入部、2年生の春に、その頃三菱自動車水島でエースだった松岡投手と練習試合で対戦しました。丁度プロ野球に入る前です。直球は速くて見えず、ドロップは頭の上から、膝下まで鋭く落ちてゆく感じで異次元・別世界でした。
「高校野球に進まなくてよかった」と、つくづく思いました。
「第6回トマト銀行6時間リレーマラソンー小林理事長初参加」
今年も、第6回トマト銀行6時間リレーマラソンに参加しました。
昨年より一週早くなり、10月2日(日)に開催されました。大会1週間前の天気予報では、雨でしたが、前日には曇り時々雨となっていましたので、当日安心して出かけました。
8時Aゲート集合、競技中の休憩場所に到着します。この場所取りのため、4人が朝6時前から頑張ってくれました。休憩場所はスタンドの下で、日中陽が当たらず涼しく休憩には最適の場所です。感謝感謝です。
昨年の800チームを更に上回り、822チームが参加しています。応援、ボランティア、大会関係者などを含めれば、1万人を超えるビッグな大会となりました。
8時45分からの準備体操、ゲスト紹介などのスケジュールは例年と変わりません。ゲストは「じゅんいちデビッドソンさん」です。隣のTさんに「誰?」「本田の物まねのタレントです」、話しぶり、容姿で納得しました。
西大寺病院は3チームが参加しました。透析チーム、リハビリ科チーム、病院チームです。昨年、医師は、井久保先生と私が参加しましたが、今年は小林理事長、原田副院長が参加され計4名になりました。小林理事長の参加は、昨年から「来年のリレーマラソンにはでる」の有言実行でした。
10時スタート、周回数を競うのではなく「楽しみながら、タスキを繋ぎ、絆を深める」と謳われながら、やはり競えるチームは100mダッシュのごとくあっという間に競技場を出て行きます。顔無し、スーパーマン、マリオ、セーラー服、スパイダーマン、などの衣装を着けて走るチームも沢山あり、楽しみの一つです。
また、昼ごろには、10数件の出店で、昼食を求めるのも楽しみです。小豆島ラーメン、蒜山やきそば、津山ホルモンうどんなどの出店には列ができます。開始後3時間(半分)を過ぎると、時計の進み方が早くなっていくような気がします。私は、100m1分のペースで走りますので、1周約13分かかりますが、我がチームのほかの若い人は5分~7分のペースで走ることが出来ます。 残り1時間になると「あと一回か」と、ホットし、元気も出ます。4時ぴったりに終わるのでなく、最後に出たランナーがゲートを走り抜けてリレーマラソンが終了します。私は、今年も5周走ることが出来き、達成感に浸りました。
成績は、822チーム中透析チーム138位(58周)、リハ科チーム487位(50周)、病院チーム570位(48周)でした。
<追伸1>競技後の食事会は、最大の楽しみで、今年は焼き肉です。肉を一杯食べて疲れを癒しました。
<追伸2>参考までに、1位は84周でした。
「私の秋」
「懸垂」
近くの公園で逆上がりをしようとしました。全然できません。
それではと、懸垂をしようとしましたが、びくとも身体は上がりません。
「えーっ!」と思いました。
毎朝、腕立て伏せ、欄干ぶらさがり、腹筋、背筋などのトレーニングを1時間弱していますので、懸垂などはすっとできると思っていたからです。考えてみますと、野球をしていた大学時代にはできていたと思いますが、前回何時懸垂をしたか、はるか遠い昔で覚えていないのです。
「懸垂はできる」と勝手に頭の中で思っていただけでした。
私は子供のころから野球をしていましたので、野球のパーフォマンスで、自分の運動能力を測ることができてきました。遠投力は衰え50mも投げれません、もう軟式用バットさえも重たくなってきました。打球への反応は鈍く、外野フライはとれません。かように、体力の衰えは認識してきたつもりですが、単純な運動である「懸垂」(少しばかり馬鹿にしていました)が出来ないことにショックを受けました。
そこで「懸垂」について、インターネットで調べてみました。あるある、一杯あります。
懸垂のやりかた(逆手、順手)、懸垂の効果、懸垂に関わる筋肉、・・・・・、そして、懸垂の出来ない人のトレーニング方法が書いてあります。野球やジョッギングを毎日していて、強いと思われている人の中に意外と懸垂のできない人がいると書かれてあり、納得しました。握力、背筋、上腕2頭筋などの筋力強化をまず始めなさい、体重過多はいけないとありますが、わたしは65kgですので、これは問題ないようです。
まず手始めは、斜め懸垂、足を地につけた懸垂から始めなさいと書いてありました。
これから始めようと思います。
「我 厳しきもの 見たり」
「お星さま きらきら 金銀砂子 」は天の川です。
私の故郷、矢掛は南に遥照山天文台、北に美星天文台のある山間の宿場町です。子供の頃、夏の空を仰ぐと無数の星の帯、天の川をはっきりとみることが出来ました。いつの頃からか、天の川は、岡山の夏の空から消えてしまいました。
夏、私の子どもの頃あって、今ないものについて考えてみました。
まずは蚊帳です。日本脳炎は蚊が媒介し、夏に流行するので、必ず蚊帳の中で寝ました。蚊帳の中が暑かった記憶はありません。今ほど夏が高温でなく、また窓を開けて寝ていたからだと思います。蚊帳の中に入る時、蚊が中に入らないように蚊帳の端をばたばた振払って、さっと中に入っていました。楽しい想い出です。
次いで「川で泳ぐこと」です。私の家の前に、道路を挟んで小田川が流れていました。夏休みなると「川で泳ぐこと」が、一番の楽しみでした。小学校の決まりで午前中に泳ぐことは禁じられていました。が、それを破って午前中から泳いでいました。20mほどの川幅を、どんな泳法でも泳ぎ切ることが一人前の証でした。小学1年生の頃?上級生が並泳してくれ、おぼれそうになると助けてくれました。何度かやっていると、泳ぎ切ることができたのでした。地区の子供は、ほぼ全員川の中にいました。上級生が仕切り、小さなコミュニティが出来ていたように思います。
夏の川といえば、その頃短冊を結んだ笹を川に流す習慣がありました(現在と異なり七夕さまは旧暦でしたから、8月7日ごろ、お盆前でした)。この笹が上流から流れ来る頃、「お盆には川にはいってはいけない、入ると先祖様に脚を引っ張られておぼれる」と大人に脅されていたように思います。ですから、川泳ぎはお盆前までの楽しみでした。
<追伸1>
私の子供の頃無くて、今あるもの、猛暑日、熱帯夜。熱さ対策をしっかりして、熱中症に気を付けてください。
<追伸2>
7月8日山陽新聞朝刊[瀬戸大橋上空瞬く天の川]の記事あり。気象条件が良ければ、天の川はまだ見ることが出来るんですね。
「百合」
自然誌おかやま2(発行:自然研究会 発行者:吉澤利忠 NO51)にささゆりの事が書かれていました。
ささゆり?と気になりました。丁度、先日のお茶会でいただいた百合が、我が家の玄関で強烈な匂いを発しているから、興味が湧いたのかもしれません。
まず私が挙げることのできる百合の名前は、姫百合、鉄砲百合、山百合ぐらいで、その違いはわかりません。私の知識は「百合はどれも大体同じでしょう」と言う程度ですから。
ささゆりについて、自然誌おかやま には「林の中にひっそりと佇むササユリは優雅ですね。そしてほんのりと薄化粧をした姿は貴婦人を思わすようで、正にユリの女王と言えるでしょう(磯野)」と書かれています。
近年は乱獲されて、山野で見ることがなくなりました。
その他をインターネット(ウイキペディア。ユリの花言葉と品種や育て方。百合-季節の花300.百合の花コレクション。百合(ゆり/リリー)の花言葉!白やピンクの意味や由来 参照)で調べてみました。
その種類の多さに びっくりぽん です。
多すぎて、そのいくつかを挙げてみます(写真はインターネットでどうぞ)。
まず宴会場で華やかに活けられ強烈な匂いを発するカサブランカ。恥ずかしながら、ゆり名にカサブランカがあることを知りませんでした。その歴史は意外と浅く、1970年代オランダで作られ、世界に広まったとあります。
日本に自生するヤマユリ、タモトユリなどを原種とするオリエンタル・ハイブリッドです。ハイブリッドとは原種の交配を意味します。
ちなみに、日本は百合の宝庫で、19世紀にヨーロッパに持ち帰られ、改良がなされたそうです。
次に姫百合について調べました。
夏の野の 繁みに咲ける姫百合の 知らへぬ恋は 苦しきものぞ
[万葉集 大伴坂上郎女]
と言う歌で、その名前を知っていて、以前から興味がありました。小振りの花で、緋色~濃い赤色の花です。
花言葉は「誇り」です。野に咲いている所を見てみたいと思います。
もう一つ 鉄砲百合は、これこそ私がイメージしていた百合でした。
花の色は純白で筒状の花を咲かせます。今の時期花屋さんの店頭に、多く飾られています。
百合は「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」とたとえられ、昔から人々に愛されてきました。夏のこの時期、香りと共にその美しさ楽しみたいと思います。
<追伸1>花を調べるのは大変、今回で終わりにします。ただ見るだけにします
<追伸2>国営備北丘陵公園(広島県)で今の時期、ササユリが鑑賞できます
「病院案内」
過日、S先生に病院を視察していただきました。私の最も尊敬する先生で、ぜひ来ていただきたいとの夢が叶いました。私の親友M先生もご同行してくださいました。
お二人を案内した順番で、ざっと病院内を紹介させていただきます。
外来受付でペッパー君に会えます。
まず、一階の保育所を案内しました。
S先生は常々、これからの女性の職場には、保育所が絶対必要と説かれているからです。
保育所を、まず内部から、そして、外に出て、土の遊び場を見ていただきました。
「これだけ広い遊びがあるといい」とのお褒めの言葉をいただきました。
他に1階には、総合受付、外来、救急外来、放射線科、検査科などがあります。
続いて、2階に上がり、リハビリテーション室と透析室を見学していいただきました。
どちらも広く、これなら患者さんもゆったりするだろうとの感想を述べられました。
リハ科の職員は53名、手厚いリハビリが可能となりました。
透析も36床、最大140名の透析が出来るようになりました。
身体に優しい≪オンラインHDF装置≫を取り入れています。
手術室は、2階に、3室あります。
3階に、研修室があります。約100人が入ることが出来ます。朝礼、各種委員会、医局会などはこの研修室で行っています。
職員食堂も3階にあります。病院の北側に位置し、約60席、窓が広く芥子山を望む景観は心が和みます。
4階、5階、6階は病室です。それぞれ、50床の設備で造られています。
病室は4人部屋が基本で、広く、カーテンで仕切られています。個室は5部屋のみです。
窓を広くとっていますので、南・東は児島湾、吉井川が、西は遠く岡山市内まで、北は芥子山・緑化公園などを望むことが出来ます。
各階に、デイルームが北側に、サロンが西側にあります。お見舞いの皆様にもゆっくりとしていただける空間です。患者様・お見舞いの方のエレベーターは2基、患者様・物品搬送用も2基あります。患者様搬送用は、看護詰所を通過し、機能的です。
最後にヘリポートの360度眺望を楽しんでいただきました。
広く快適な箱モノは出来ましたが、内的充実が今後の課題です。
足らぬところの多い、若い病院ですが、小林理事長以下職員一丸となって、改善してまいりたいと思います。
「第5回西大寺マラソン」
4月24日、行われました。
3kmと10kmの2コースです。今年は当院から33人が3kmコースにエントリーしました。
前日の雨があがり、晴れ間ものぞく良い天候にめぐまれました。
参加者は約3千人、年々盛んになってきています。
西大寺会陽が国の重要無形民俗文化財に指定されたこと、コースが平坦で気楽に走ることが出来ることなどが参加人数の増加につながったのでしょう。
開会式のあと、15分前にスタートラインにつき、出発を待ちます。山下衆議院議員の選手宣誓、ゲストの挨拶のあと、9時一斉にスタートしました。
今年は、例年になく走り込んでいましたので、安心して1km10分のペースで走り始めました。当院の参加者は若い人が多く、彼らはあっという間に先に行ってしまいました。初参加のFさん、走る前は「私は初めてで遅いので、院長先生についてゆきます」と言っていたのですが、彼女もあっと言う間に消えてしまいました。
1kmで約9分でした。少しずつペースを上げてゆきました。五福通りをすぎて、2kmで約16分、そのままのペースで進みました。ゴールまであと150mあたりで、前を歩いているF君を見つけました。彼が最後尾だろうと思いました。一緒にゴールが出来そうと思い、「F、がんばれ」と声を掛けましたら、F君走り始め、一気にゴールしてしまいました。結局私がビリになってしまいました。タイムは、想定より早く22分42秒でした。上出来です。
過去3年間で、一番楽に走ることが出来ました。
ゴール後、皆のタイムを聞いてびっくり。小橋先生 20分台、小林先生 21分台、F君と私 22分台で、あとの人達は全員18分以内(1km 6分のペース)で走っていました。最も速かったのは男性ではS君11分25秒、女性ではTさん13分12秒、びっくりポンです。
<追伸1> 「能ある鷹は爪を隠す」人が一杯いました。病院の将来は明るい
「竣工式・竣工セレモニー・内覧会・ヘリコプター搬送訓練」
3月27日(日) 岡山西大寺病院の新病院竣工式・竣工セレモニー・内覧会が行われました。約1年2か月の工事の後、新病院が竣工しました。
9時から、竣工式がはじまりました。開式、修祓の儀、降神、献撰、祝詞奏上、清祓之儀、玉串奉奠、撤撰、昇神の儀と滞りなく神事が終了、病院のこれからの発展を祈り乾杯をしました。
竣工セレモニーは新病院玄関前で行われました。山下衆議院議員をはじめ、来賓の挨拶が続きます。
設計事務所、施行した安藤・間組に感謝状が手渡され、その後、20人による、テープカットが行われ新病院開院を祝いました。
13時から、一般の方々の内覧会の予定でしたが、13時前にもう道路前一杯の人に溢れ、開場を早めました。次から次へと、地域の皆様が、来場されます。エレベーターが2機ですので、安全を考えるとどうしても、一度に運ぶことのできる人数は20人ぐらいです。病院外に立ち待たれている人にお詫び・説明をしながら、入場をしていただきました。終了時間頃、最後の受付が終わり、ホッと致しました。
1600名余の皆様が内覧会に来られました。地域の皆様に信頼され安心、安全な医療を提供する決意を新たにしました。
15時からはヘリポートを使用した、救急搬送の訓練を行いました。当院から、倉敷中央病院に、腹部大動脈瘤破裂の患者を搬送するという、設定で行いました。緊急電話依頼を行うと、川崎医大からあっという間に(10分以内)ドクターヘリが飛来、ヘリポートに着陸しました。
患者をヘリに移乗させ、訓練は無事終了しました。
「野球少年の心」
「走りたい 気持ちがあるね。走ってみたい そのひと言」
これは、NHKテレビ番組≪スーパースター長嶋茂雄~野球人生のすべてを語る~≫で有働由美子アナウンサーがした最後の質問「79歳の今の夢は?」への答えです。私は、68歳、長嶋世代です。私たちの子供の頃、野球が最もポピュラーなスポーツでした。その最大のスターは、長嶋茂雄でした。当時、背番号3は野球少年の憧れでした。
番組を紹介します。
野球の始まりは、母が作ってくれたボールでした。野球で母を喜ばせたいという気持ちが長嶋さんの原点であったそうです。東京六大学通算ホームラン新記録8本の実績をもって、巨人に入団しました。契約金は、巨人が最も安かったそうです。新人開幕戦、国鉄金田投手との対戦、4打席すべて三振に打ち取られましたが、決して下を向きませんでした。打撃よりも、守備を重視し、ゴロの取り方に十数種類あり、スローイングも歌舞伎を参考にしたという話は、「魅せる長嶋」の真骨頂のように思いました。フライを取ることには、何の面白さもないと言った時には、思わず笑いました。天覧試合のさよならホームランをはじめ、その後の活躍は国民を勇気づけ、感動を与え続けました。
昭和49年、「わが巨人軍は、永遠に不滅です」の言葉を残して引退しました。巨人軍監督時代も、つらくとも、明るく爽やかな長嶋さんを貫いています。バットスイングは音が最も大切だと強調し、彼しか分からない感性かと思いました。
2013年には、松井秀樹と共に、国民栄誉賞を受賞しました。野球の努力は、決して人に見せるものではないという信念は、プロとして当然かなーと思いました。
しかし、脳梗塞に倒れた後、身体障害、言語障害の残る体で、病気に立ち向かう闘志、そしてリハビリテーションを中心にした闘病の姿を、同じ病の人達を励ますために見せるのだという強い意志に感銘をうけました。
最後の言葉を聴いた時、
≪あの、長嶋さんが「走りたい、走ってみたい」≫と・・・・・、
野球少年の心そのままだと思いました。
「春の楽しみ」
2月21日休日の散歩に出かけました。健康づくり財団病院の桜並木を見ながら、笹が瀬川の堤防に出ます。まだ、川面には鳥がいます(私には種類がわかりません)。
堤防を南下してゆくと、いつもなら見える樹木が完全になくなっていました。2月始め頃から始まった笹が瀬川堤防の補強(コンクリート堤防建築)、道路幅の拡大に伴う、道路法面の工事のためです。工事が始まったころは、樹木はまだ残っていました。どの程度の工事規模なのかなー、樹木が残ればよいがと心配していました。
私が名づけた第一庭園、第二庭園は完全になくなっています。春の楽しみ、染井吉野、源平桃、ぼけの花、雪柳、利休梅などの花たちに、もう会うことが出来なくなってしまいました。またその先のタンポポ草原も、仏の座の群生場所も削り取られてしまいました。この地域(私の家も含めて)は、笹が瀬川の増水で、毎年のように冠水していました。最近の災害の激しさを考えれば、地域安全のために必要なものだからと・・・・。
散歩の終わりごろ、西バイパスの高架の下で、ひばりが鳴いていました。初鳴きです。あれ!ひばりは麦畑で鳴くと言われるが、もう少し後ではないのかな?鶯の方が早いはずだが、それにしても、元気よく鳴くなーと思っているうちに心が少しずつ軽くなってきました。
少しずつ環境は変わります。また新しい楽しみを探したいと思います
「新病院見学」
岡山西大寺病院の新病院は、現在の病院から約500m南、岡山市東区金岡東町1-1-70に建設中です。2月末日に完成します。現在、建物は出来上がり、内装と外構の工事が行われています。新病院は7階建て、屋上にヘリポートを備え、耐震構造になっています。右手の塔は時計台です。
先日、小林理事長と見学に行きました。1階外来部門は、仕上げの時期で、13室の外来診察室が並びます。2階のリハビリテーション室、透析室は現在の2倍以上の広さがあり、これなら患者さんに、ゆったりと治療を受けていただけると思います。病室もゆったりと広くなります。
ヘリポートに立ちますと360度のパノラマです。国道2号線が西に延び、はるか岡山市中心部に向かっています。東に吉井川が、ゆったりと流れています。北の永安橋から、南の河口までゆるやかに流れてゆく姿は、心なごみ、落ち着きます。
「99里をもって、半ばとなす」工事の安全を祈りつつ、新病院を後にしました。
「年の初めに」
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
3月27日に新病院竣工記念式、5月2日にオープンします。建物は新しくなりますが、人の内的充実をはかり、地域医療に貢献してまいりたいと思います。
今年もいつもと同じように、「絵に画いた餅」を楽しんでいます。
まず、一番は例年通り[節度ある酒]です。昨年は、「無意識会会長」になる(飲み過ぎて、ある時点から覚えていない情けない状態)回数は、めっきり減り改善方向にあります。今年も努力を続け、恩師 故田邊先生を見習い、2合を上限に(3合?)盃を置くことにします。休肝日は週2日、が目標です。
酒の目標は、なんとなく不安・自信なさげですが、肉体的・体力的な「絵に描いた餅」は少しばかり、自信があります。
まず、ずっとつづけている朝の散歩・勤行(トレーニングと読経)は継続します。朝トレーニングを中心に体を鍛えますが、昨年10月から病院内の階段のダッシュを始めました。毎朝8時全病棟を巡回しますが、その際、階段をダッシュするのです。朝のトレーニングは、ゆったりとしたエアロビックエクササイズですが、それだけではテニス・野球の鋭い運動ができないと思い、始めました。
もう一つ始めたのが、夜の散歩です。今までは、帰宅、風呂、食事・酒、就寝でしたが、休肝日は、帰宅、食事、散歩、風呂、就寝としました。やってみると、酒を飲むのと異なった快感があります。これは、続きそうです。
これらの運動+食事で、今年は体重を64~65kgの間で維持したいと思います(昨年は65~66kgが維持できました)。私は糖尿病家系ですので、体重管理は大変重要と考えています。現在のところ、メタボリック(糖尿病、高血圧、高脂血症)はありませんが、油断大敵です。
≪体、心、技≫で、病院業務にあたりたいと思います。
12月14日、新聞の朝刊は休刊でした。12月15日の山陽新聞朝刊スポーツ欄は、2日分の結果が勢ぞろい、若者の活躍に胸が踊ります。そのキャッチコピーを、字の大きさの順で拾って行きますと、
まずフィギュアスケート
羽生結弦(21歳)
「羽生 また進化」「精度を磨き“ほぼ”完璧演技」「歴代最高更新 330.43点」
フィギュアGPファイナル初の3連覇です。余裕のある4回転ジャンプのきれいさに、感嘆するのみでした。
宮原知子(17歳)
宮原2位 自己ベスト」
浜田コーチの「普通の子がここまでなれるのは練習のたまもの。人の3倍も4倍も練習する努力家」の言葉に、ぐっときました。彼女を見る目が変わりそうです。
次いで、バトミントン
桃田賢斗(21歳)と奥原希望(20歳)
「男子 桃田 初V 奥原 女子」
バドミントンスーパーシリーズファイナルで日本人初の優勝です。
桃田選手が、四国三豊の出身と聴き、親近感を覚えました。
二人の、リオ・東京オリンピックの金メダルを期待しましょう。
「高梨今季2勝目」 W杯ジャンプ
こちらは通算32勝、第一人者です。ソチの悔しさを、平昌で晴らしてほしいと願います。
[日本女子2連勝] W杯スピードスケート
強豪オランダを抑えての2連勝、ますますチームワークに磨きがかかり、強くなっています。こちらも、平昌オリンピック メダル期待です。
<追伸>澤選手、引退です。偉大な選手の引退は寂しいことですが、拍手を送ります。
サッカーも若い人が続きますように。
ルーティン(routine)を英和辞書でひきますと、「毎日のようにしていること。日常の仕事。日課」とあります。これを読んだとき私が思い起こした言葉は「勤行」でした。毎日時間を決めて仏前に読経や回向をすることです。仏教徒にとって、日課です。
山陽新聞11月16日(月)のメディカの記事のキャッチコピー<転倒は「命の黄信号」><五つの習慣で予防を>に目が留まりました。武藤芳照・日体大総合研究所長の講演の要旨でした。演題名は「転ばぬ先の杖と知恵~高齢者の転倒・骨折・寝たきりを防ぐために」です。先生は日本転倒予防学会理事長も務められています。転倒予防教室を日本で最初に始められ、よい成績を発表されて来ておられます。
内容を、要約し紹介します
転倒死は年間約7千人で、交通事故死の約6千人を上まっており、転倒死も社会全体で対策に取り組くめば、交通事故死と同じように、減らしていける。転倒の原因は三つある。年齢、病気(薬)と運動不足。薬が5種類以上だと転倒の危険が高まるとの報告がある。
過去1年間に転んだことのある人が次の1年に転ぶリスクは5倍という。
では転ばないための5つの習慣は、
①頑張らない運動で体を動かそう
②日光浴をしようー骨粗鬆予防
③無理なく運動を続けよう
④足の裏の感性を磨こうーぞうりを履こう
⑤もっとこまめに水を飲もう です。
運動に関係した①は、暮らしの中で体を動かすこと。掃除とか新聞を取ってくるとか、小さな積み重ねが大切。そして③はかかと立ちや、つま先立ち、腰掛けて、ももあげ。片足立ちのバランス訓練など、日々の小さな運動、その継続の大切さ強調されています。
要旨の最後に、<アリストテレスの「生きていることは動いていること」>を引用されています。
日課として小さな運動を取り入れ、継続すること、すなわち「ルーティン」の大切さを改めて確認した記事でした。
<追伸>「歯磨き」「腰みがき」「脚みがき」の運動を、さらに広めて行きたいと思います。
今世間では、ラグビー五郎丸選手の、キック前の両手を合わせて祈るようなしぐさが話題になっています。ルーティンと言う言葉が、広く知れ渡りました。五郎丸選手の言をかりれば、ルーティンをすることで(今に集中し、一つずつ決め事を確実に行ってゆけば)雑念が無くなり、心の安定が得られ、よいパーフォマンスができるということでしょう。
身近なルーティンは、交通事故防止標語(全日本交通安全協会 平成27年度)にも使われています。
「早めから つけるライトで 消える事故」--村岡孝司
「横断は いくつになっても 右左」--夫馬文雄
「ひとりでも まもるよやくそく みぎひだり」--長田侑里乃
先日車運転のルーティンを怠ったため、自損事故を起こしました。阪神タイガースが今季の優勝が出来なくなった頃の出来事です。
早朝、「おはようパーソナリティー 道上洋三です」を聞きながらの出勤です。6時30分から40分過ぎごろまで、道上さん・吉田さんの楽しい会話がラジオから流れています。話題は、阪神タイガースが優勝を逸したことでした。狂阪神フアンの道上さん、今シーズン阪神優勝に向けて、1勝につき500円硬貨を貯金箱に入れてゆきました。リスナーが優勝決定日を当てる企画でした。
道上さんの話が、今季の優勝が無くなったと言い始めた時は、丁度病院の駐車場に着き、リアカメラを見た直後でした。私のバック駐車のルーティンは、ます、リアカメラで後ろの死角を確認、身体を捻じり後ろを直視、左右のサイドミラーも見、ゆっくりバック、壁を直視しながら停車します。最後の微調整に、リアカメラを使います。
「阪神は現在までに70勝だから、500円×70で35万円か」と道上さん、その瞬間、後ろを直視することを忘れ、バックを始めてしまいました。心の中で<道上さん違う、35万じゃねー、3万5千円じゃ>
ドーン、駐車場の壁の鉄材に衝突してしましました。一瞬のルーティンの欠落でした。
ラジオから「35万円でなくて、3万5千円か」と、道上さんの声が流れていました。
「銀木犀」
10月14日夕方6時過ぎ、病院を出て駐車場に向かう途中、金木犀の匂いが強烈にします。あれ、どこに金木犀があるのかと思い、周り見ると白い花をつけた、手入れのゆきとどいた木が一本、お稲荷様の後ろにあります。毎日見ていた木です。
<白い花、しかし匂いは金木犀だが?>
通りかかったNさんに質問、
「Nさん、金木犀の匂いがするけど花が白い。なんの花じゃろー?」
「ほんと、金木犀の匂いですね。何でしょう」
そこに通りかかったSさん
「銀木犀でしょう」
<あ、そーか、これがカーさんの言っていた銀木犀か>と、家内との過日の会話を思い出しました。
毎年、10月の初めごろのある日、突然散歩中に金木犀の匂いが、し始めます。秋を感じる時、楽しみな再会です。散歩から帰り、家内と金木犀の話をしている中で、家内が「庭に、金木犀を一本植えている。銀木犀も植えたかったんじゃけど、銀木犀の葉っぱは棘がある。もし孫が刺されてもいけんので、植えんかった」
生れてはじめて銀木犀の花、木を観ました。銀木犀の花は白く、花の数は金木犀よりも少ないような気がします。匂いを嗅ぎ分けることは私にはできません。花の匂いは、屋外では沈丁花、梅、室内では百合の花ぐらいしか知りません。沈丁花、梅はほのかな香りの感じがします。百合は室内に活けると、強烈な匂いを遠くにまで発します。
銀木犀がこれに加わり、毎年の楽しみが一つまた増えました。
「トマト銀行6時間リレーマラソン」
10月11日(日)トマト銀行6時間リレーマラソンに参加しました。総合運動公園内シティライトスタジアムを発着点に、スタジアムを外に出る約1.3kmのコースを6時間で何周できるかという、マラソンです。今年で第5回になります。私は昨年から参加しました。昨年は約7百数十チーム、今年は800チームの参加で、年々盛んになっています。チームは4~10人で構成され、一般、職場、中高校生、小学の4部門に分かれています。
西大寺病院からは、透析室、リハビリ科、病院の3チームが参加しました。私たち病院チームを紹介しますと、井久保副院長、事務1人、リハ科4人、薬剤部2人、栄養部1人、そして私の10人です。
8時45分から準備運動が始まります。グランドの一画で行われるのですが、グランドに降り立ってメインスタンドを見ると、人が一杯で壮観です。今年は更にバックスタンドの2/3が一杯になっていて、参加人員の増えたのが一目でわかります。
スタートは10時、9時45分バックストレッチに第一走者800人が集合します。陸上経験者、走力に自信のある人が前部、ゆっくりスタートの人が後部で待ちます。森脇健児さんが選手宣誓を行いました。「お金がたまったら、トマト銀行に貯金します」の一言に、思わず笑ってしまいました。カントダウン「・・・、5,4,3,2,1,0」ドーンで一斉にスタート「ウウォー」の大歓声です。わがチーム第一走者は井久保副院長です。学生時代軟式テニス部で鳴らしただけあって、堅実そして速い、スタートを見送る私たちの前を颯爽と走り過ぎて行きました。ここからは一人一周、ひたすらたすきリレーをしてゆきます。リレーマラソンの良いところは、各人が自分のペースで走れることです。一旦全チームが走り始めると、先頭も最下位も分かりません。無理をせず、ペースを守って走ります。とは言っても、走りの流れに入ってしまいますと、ついオーバーペースになる人がほとんどです。
わがチーム、約1時間強で一回りするので、次の順番までゆっくり休むという感じはありません。私は、息が切れないように周りを楽しみながら、計5周走ることが出来ました。抜いたのは歩いている人3人のみでした。16時、全員無事に走り切りました。やり遂げた顔、顔、顔で記念撮影、スポーツの秋を満喫しました。記録は、50周、職場部門で402チーム中290位でした。
<追伸1>
あれだけ抜かれっぱなしなのに290位、若い人の頑張りに感謝
<追伸2>
透析チームは、68周、13位。医療・病院関係では日赤チーム 8位に次ぐ好成績でした。
<追伸3>
来年は、小林理事長はじめ、さらに多くのチームが参加を意気込んでいます。
恩師田辺先生が平成27年7月24日、逝去されました。91歳の大往生でした。
私は、大学病院で昭和54年から教授退官まで、その後岡山労災病院長時代までの約20年間、田辺先生のもとで指導をして頂きました。医学だけでなく、人間として多くの事を学びました。
先生の専門分野は、小児股関節ですが、その見識は整形外科全般にわたっていました。凛とした人間哲学があり、その指導は厳しく、身が縮む思いを何度も経験しました。
しかし、患者さん、特に子供に対してはどこまでも温かく、優しさに溢れていました。
その優しさの一つを紹介します。
田辺先生の業績は素晴らしいものですが、中でも先天性股関節脱臼の広範囲展開法(田辺式手術法)は、広く日本中に知られ、現在も数多くの病院で行われています。成績は世界でもトップです。先生が、幾多のつらい経験を経て開発された手術法でした。
股関節手術の際、皮膚に切開を加え、中を展開し、進入してゆきます。皮膚切開は、通常骨折などでは、縦切開(大腿の長軸に沿った切開)を用いますが、田辺法は横切開(大腿の長軸に直角の切開)を取り入れています。
なぜ横切開なのですかの質問に対する答えは、
「縦切開にすれば、ブルーマをはいても見える。横切開にして、それも少し近位にして、ブルーマをはいたら見えん位置にしたんじゃ」
手術だけのことでなく、子供の学校での生活を考えられてのことでした。
あらためて、田辺先生の指導を受け、教えをいただいた幸運に感謝しています。田辺先生が諭された「花川、平生を大事にせー」を心に留め置き、生きてゆきたいと思います。
平成27年5月7日
「西大寺マラソン」
4月26日<西大寺マラソンー西大寺観音院と五福通りを駆け抜ける>に参加しました。小林理事長、小橋副院長、菊池先生をはじめ、合わせて18人の職員が参加しました。昨年は8人でしたから、倍以上の参加者です。
小林理事長の目指すところ「西大寺の行事に参加」の実践です。コースは3kmと10kmの2種類です。どちらも西大寺緑化公園を発着点としています。3kmコースは昨年までは、永安橋を渡り、往復するコースでしたが、今年から変わりました。西大寺の商店街・五福通りを駆け抜けるコースで平坦となり、走りやすくなりました。3kmの制限時間は50分ですので、歩いてもなんとかなるという、気楽さがあります。
受け付けは7時半、今回に合わせて作ったユニホームを全員が着ています。ゲストのファジアーノ岡山のゴールキーパーが、準備運動の指導をしてくれました。
3kmのスタートは9時、速い、普通、遅い、の3群に分かれてスタートします。山下貴司先生の選手宣誓後、カウントダウン、いざ出発しました。緑化公園道路を出てすぐ右折、吉井川堤防に出ます。そこを左折し、川沿いを下り、観音院の方向に向かいます。1km過ぎあたりから、西大寺商店街通りに入るのですが、もう先頭集団は2kmを超え、復路を走っており、往路の私と対面、その速さに感服しました。商店街の通りに入り、「あれっ!西大寺に、昭和の匂いのするこんな通りがあったんか」と驚きました(後で聞くと、五福通りと言い、映画「三丁目の夕日」の撮影が行われたそうです)。2kmあたりに給水所が設けられ、干天に慈雨、ありがたいと思いました。あと1kmは、脚の調子も良くなり、楽に前に進みました。丸山君と一緒(丸山君が1秒早い)にゴールイン、21分24秒(昨年は22分33秒)でした。小林理事長は私より先にゴール、20分8秒でした。職員で一番速かったのは、リハの三浦さん、13分37秒です。走りきった爽快さは何よりのものです。
<追伸>
来年は、より多くの職員が参加するよう、働き掛けをしようと思います。
目標は高く、全員参加!
先日、外来での患者さんとの会話
「最近、散歩をしていると、田んぼが、ぼっけー匂うんじゃけど?昔、稲刈りの後の田んぼが、こんなに匂っとたかなー?」
患者さん「先生、最近は機械で一気に刈り取り、脱穀する。その時に、稲わらを切ったものが田んぼに残るから、匂うんじゃ」
その後、田んぼをよく見ると、脱穀後の細断された稲わらが、稲田を薄く覆っています。コンバインで稲を刈り取り、一気に脱穀してしまい、切られ、残された稲わらが、この匂いを発しているのだとわかりました。
コンバインはだいぶ昔から、使われていますが、稲わらの強い匂いは、今年初めて気づきました。
<追伸1>
コンバイン=稲刈りの機械と思っていましたが、稲刈り+脱穀・選別=combined(コンバイン:組み合わせた)の英語に由来していると、知りました。
<追伸2>
稲刈り、秋祭りの次は、紅葉狩りです
皆さん!この写真、何をしているように見えますか? 写真は私ですが、庭で昼寝をしているのではありません。テッポウムシを退治するために、もみじの樹にノミで開窓術をしている所です
8月初旬、我が家の会話
「お父さん、またテッポウムシがもみじに来とる」
「わかった、またやっとく」
テッポウムシはカミキリムシの幼虫で、樹木を枯木にしてしまう、恐ろしい虫です。
数年前、我が家のリンゴの樹にテッポウムシが入りました。友人K君に相談しました。彼は、内科医師ですが、多能な人で、園芸もプロです。
「花川、Xという薬がある。それを使ってみー。しかし、なかなか、効かん。儂も、2本リンゴの樹をやられた」
プロのK先生が処置しても、やられるのに、素人の私では、と思いつつXを、茶褐色のおがくずが出ている穴から、注入して、経過をみました。明朝、やはりおがくずがでています。また注入する。次の朝、見る、やはりおがくずがでていて、Xの効果なし。このままでは、家内の大事なリンゴの樹が枯れてしまいます。その時です。「まてよ、薬が虫まで届かないのなら、開窓し、直接テッポウムシを退治してやればよい」と閃きました。
骨髄炎の治療について、お話しします。骨髄炎は、骨に細菌が侵入し感染を起こします。高熱、局所の熱感、疼痛が強く、抗生剤が投与(内科的治療)されます。これだけでは不十分の症例も多く、皮膚を切開し、膿の溜まっている場所の骨に窓をあけ(開窓術)そこから、膿を掻き出し、汚染骨・腐骨を取り除き、正常な骨が露出するまで摘除するのです。こうすることで、汚染の拡大を防ぎ、抗生剤の効果を高め、治癒を促進するのです(外科的治療)。
決断するとすぐ、ホームセンターに行き、ノミを購入しました。ノミ刃 3種類セットを買い求めました。おがくずの出ている穴をたよりに、ノミで削り開窓して行き、深部に達します。直接テッポウムシを見たことはありませんが、おがくずのあるところはすべて、摘除します。その後に、鉄砲虫がいるぞと思われるところを錐でさしまくり、最後に殺虫剤をたっぷり吹きかけます。この方法で、今までリンゴの樹3回、もみじの樹3回 すべて、テッポウムシを駆除することに成功しました。
<追伸1>
先日のNHK朝のニュース。ミカンの樹にテッポウムシがついて、枯れるので、カミキリムシに一匹30円の賞金を懸け、子供達が虫をとる話が放送されていました。
私の方法も一考の余地ありと思いました。
<追伸2>
家内のつぶやき「おとーさん、嬉しそうにノミを使うねー」
(私のつぶやき:私は、手術をしなくなった整形外科医です)
平成26年8月4日
「土用干し」
皆さんは、夏の風物詩というと、何を思い浮かべますか。私のある一日の朝の目覚め・散歩から夜までを思いますと、セミしぐれ、朝顔、散歩・トレーニング後の汗、子供たちのラジオ体操集合、生あったかい水道水、きき過ぎの病院の冷房、スイカ、かき氷、夕なぎ、蚊取り線香の匂い、花火の音、冷えたビールの喉ごしの良さ、扇風機・・・。
私が楽しみにしている夏の風物詩の一つが「土用干し」です。インターネットで検索しますと、「土用干し」で3つ出てきます。梅の土用干し、着るものの土用干し、そして稲田の土用干しです。私は田舎の出身ですが、この「稲田の土用干し」は知りませんでした。10年ほど前、土用の頃の朝、いつものように散歩に出かけました。ずっと水がはってある田に水がなく、地面が乾いてきていました。「あれ、水を入れるのを、怠ったのか?忘れたのか?そんなことはないだろー。水をやらんと枯れるが・・・」などと思い、翌日も田んぼを見ると、さらに地面が乾き、割れてきていました。不思議に思い、外来診療の時、農家の患者さんに、その疑問を問いました。「先生、ありゃー土用干し言うて、わざとやっとんじゃー。水を切ることで、稲の根がよく張り、稲が強くなり、次に水をやるとさらに成長するんじゃ。台風が来ても倒れんようになる。それに地面が固くなり、稲刈り機の車が沈まず、動きやすうなる」と教えてくれました。稲は、酷暑の時に鍛えられ、強くなるのだと思い、そして先人の知恵に感心しました。
それからは、土用干しの風景を見るのが楽しみになりました。暑い夏こそ、身体を鍛えて頑張ろうと、思うようになりました。
<追伸> 私の夏風物詩一番は、夏の甲子園です。
雲はわき 光あふれて 天高く純白の球 今日ぞ とぶ
若人よ いざ まなじりは 歓呼にこたえ いさぎよし
ほほえむ希望 ああ 栄冠は君に輝く
さあ、高校野球ドラマを楽しみましょう
平成25年11月11日
「愛燦燦」
先日テレビ歌謡番組で、小林旭が、<昔の名前で出ています>の詞の誕生の話を楽しそうに語っていました。「星野哲郎先生が、なじみの銀座のホステスが地方にいるという話から、この詞ができたそうです」
そういえば、<愛燦燦>も、秘話があったなーと思い出しました。
雨 潸潸(さんさん)と・・・、風 散散と・・・、愛 燦燦(さんさん)と・・
この歌が味の素のコマーシャルソング(1987年)であったことを知ったのは、朝日新聞 Be(2010年12月11日)の記事でした。紹介しますと
ホリプロの若き映像プロデューサー Iさんはまず、コマーシャルに使う映像をハワイで撮影し、その映像にふさわしいコマーシャルソングを考えていました。作詞・作曲は、以前仕事を組んだ小椋 佳と決めていました。歌手は誰にするか? 「和田アキ子?、森昌子?、石川さゆり?・・・・・」どうしても、この映像に合わない、映像の中の大家族を支える気丈な母親像には、美空ひばりしかいないと考えました。日本の大歌手、昭和の大歌手美空ひばりに無謀にも、依頼しましたが、最初は良い返事が貰えませんでした。とにかく、ひばりさんにこの映像を見てほしいと頼み込みました。しばらくして、「ひばりがあの映像をすごく気に入っている」との返事があり、歌手が決定しました。すぐ小椋 佳に作詞・作曲を依頼しました。最初の曲は、テンポが軽やかで、もっと包容力がほしいと、没、2作目を待ちました。できたのが、あの名曲<愛燦燦>です。
レコーディングの秘話がおもしろく書かれていました。
ひばりのレコーディングは昼間と決まっていたそうです。愛燦燦に先立って、アルバム「旅ひととせ」のレコーディングがあった時の話です。小椋 佳は当時売れっ子の作詞・作曲者でしたが、まだ第一勧業銀行に勤めていました。昼間は当然“おつとめ”です。
ひばりは録音直前の作家の意見を大切にしていたそうです。
ひばりは不機嫌に「なぜ、作家(小椋 佳)が来ないのか?」と担当者に尋ねました。担当者が「おつとめです」と返事、ひばりは「大変なのねえ」と、気の毒そうな顔をしたそうです。ひばりは、小椋が銀行員であることを知らず、“おつとめ”を刑に服する意味に誤解したのです。10日後の愛燦燦のレコーディングンは、彼に合わせて、ひばりには異例の夜間にしたそうです。
歌は、その誕生の背景を知ると、味わいがより深くなります。
《後日談》ひばりの息子さん、加藤和也さんの話。
「母はこの歌を、大変気に入っていました。歌手ひばりの我が無い。何のこだわりもない。ただ自然に自由に歌っている。僕はあの歌におふくろの加藤和枝を感じます」
<追伸>
味の素 愛燦燦 美空ひばり で検索、you tubeでこの映像をお楽しみください。
「縁」
岡山西大寺病院に赴任して、まず西大寺観音院にお参りしました。ご本尊さまは、
千手観音、“オンバザラタマラキリクソワカ”の御真言を唱え、病院の安寧と、家族の健康を祈願しました。
45年ぶりの境内です。記憶していたよりも、少し狭い印象でした。それ以後、毎月一回参拝しています。
45年前、会陽に参加しました。大学2年生の時、柔道部のA君に誘われ、まわし姿で、境内に入り小さな池で、まず身を清めたように思います。私は野球部で、胸囲、ヒップ周りは1mを超えていて、ある程度身体には自信がありました。しかし、境内を見回すと、ほとんど私よりもごつく、一緒にいっていた柔道部のA君が普通ぐらいでした。筋骨隆々の人ばかりで、私などは貧弱な方です。裸の群れの中に入り、どんな声だったか忘れましたが、叫び続けたように思います。今、3つのことを思い出します。一つは、宣伝写真でも見るように、裸の群れが皆手を挙げていることです。手を下げると、次第に身体が下に、下に沈み込んでいってしまうのです。あわてて、手を挙げました。恐ろしいと思いました。2つ目は、皆が“水、水”と叫んでいました。裸と裸、皮膚と皮膚が擦れ合うと、摩擦が起き、熱を持ち、皮膚が剥け,痛いのです。水が掛かると水蒸気があがり、皮膚が滑らかになり、灼熱感もとれ、気持ちが落ち着きます。3つ目は、これは恐ろしかった。宝木が投げ入れられる本堂の床に入って、天井を見たら沢山の人たちが、柱にへばりつくように待機しています。宝木が投げ入れた瞬間、宝木の所に上から飛び込み、獲得するためだそうです。投げ入れの時間が近付くと、宝木を本格的に獲得しようと狙っている人たちは、本堂に集まってくるので、私たちのようなものは次第に外へ押し出されました。宝木が投げ入れられる直前?直後?にライトが消され、投げ入れられた後の獲得の壮絶さに圧倒されたのを鮮明に覚えています。
西大寺会陽は、今年で504回目の歴史ある日本の3大奇祭です。今年は約9000人の裸が集まりました。
46年ぶりに、来年は外から楽しみたいと思います。
平成25年9月15日
「招き猫体操」
今回は大腿四頭筋訓練を紹介します。“脚みがき”の中で最も大切な運動です。「転倒予防教室」「寝たきり予防教室」などで、歩行能力を向上、維持するのに大切な筋肉として、この訓練は取り入れられています。また、膝の痛みをとるのにも最もよい治療法として、広く認められています。
大腿四頭筋は、ふとももの前の筋肉で、膝関節を伸ばします(伸展)。病院のリハビリテーション室で、足首に重しをつけて膝関節を伸ばしているのを見られた方が多いのではないでしょうか。下肢筋力強化プログラムの中心になる筋肉です。
まず一般的な大腿四頭筋訓練を紹介します。
詳細なやり方は、ロコトレ(院長コラム 第3回)の中に紹介されています。
A.通常の大腿四頭筋訓練(右脚の場合)
2.右肘を曲げ脇を締め、
上肢に力を入れる。
ぜひ、毎日の運動に取り入れて、行ってみてください。
<追伸>
金欠の人は、手を招き猫のようにしてみてください。金運がつきます。