人工透析なら岡山市東区の岡山西大寺病院へ

 

院長の紹介

 

岡山西大寺病院 院長 花川志郎

岡山西大寺病院 院長 花川志郎
 
   院長 花川 志郎


岡山西大寺病院長に就任しました花川です。小林
直哉理事長とともにマンパワーを充実させ救急医療の強化、安心安全な医療の提供に力を入れてまいります。特により早い社会復帰と獲得したレベルの維持のため、リハビリテーションの強化と継続に取り組みます。また、生活習慣病、ロコモティブシンドローム(運動器症候群)への対応、寝たきりにならないための予防や運動指導には重点的に取り組みます。時には病院から飛び出して、介護支援など地域のみなさまの安寧な生活の温かい援助を行えればと考えております。みなさまどうぞよろしくお願い申し上げます。

   
院長のコラム 第72回
懐かしい、52年ぶり
 

11月5日(日)矢掛高校同窓会が、倉敷アイビースクエアーで開催され、出席しました。
私たち昭和41年卒業生のH.Nさんが本年度幹事長を務めており、41年卒業生80数人参加すると聞き、楽しみに出かけました。同級生Yさんから、同じクラス17人(男子14人、女子3人)の名簿を前もって送ってもらっていました。
その内4人(男性3人、女性1人)は卒業以来の出会い、52年ぶりです。中でもソフトボールを一緒に楽しみ、名サードだったH.Uさん(関東在住)との再会を楽しみにしていました。「会って、お互い、すぐ分かるだろうか」と楽しみ、想っていました。
 
 
倉敷駅から、徒歩でアイビースクエアーへ向かい、美観地区の入り口あたりで後ろから「花川さん?」と声をかけられました。振り向くとマスクをした男性が立っていました。「あっ!Hさん」目元だけですが、何も変わっていません。「病院のコラムの写真で顔が分かっていたので、後ろから早足で追いついて、声をかけた」
 
 
それからは、話・話・・・、会場に着きました。H.Nさん、Yさんら多くの世話人の人達に迎えられ挨拶、自分達の席に着きました。2人が先に着席していました。2人ともここ数年のうちに合っている人達です。談笑しながら同級生を待ちます。52年ぶりのあと3人、どんなに変わっているだろうかと待っていると、A.Nさんが入って来ました。すぐわかります。「N!」「おー花川」。男性のあと1人、Iさんも髪は白くなっていましたが、すぐわかりました。女性のAさん、なかなか高校時代の顔と一致せず、時間がかかりましたが、話が進むにつれ一致しました。
 
 
11時、総会は会長挨拶、幹事長挨拶にはじまり、校歌を全員で声をはりあげて唄いました。私は校歌が好きで、日常歌っていましたが、隣のA.Nさん「校歌 知らん。歌えん」と言っていましたが、歌が進むと声を張り上げて唄っていました。12時から懇親会が始まり、会話がいよいよ高校時代に戻って行き、マラソン大会、校内ソフトボール大会、運動会(矢高祭)・・・・、個人個人の思い出、それぞれの歩んだ道・・・懐かしく、酒を酌み交しながら、座り込んで、立ち話で、一杯話しました。お互い、70歳、元気での再会を喜びました。なにか、ホッとする時間でした。
 
 
「高校三年生」の大合唱でお開きです。
 

H.Nさん、Yさんはじめ幹事の皆様に「ありがとうございました」の一言です。
 
 
<追伸>
クラス会2次会もセットされていました。和やかな時間は続き、次の時を楽しみに別れました。
今回は「節度ある酒」で終わりました。ホッ!!!
   
院長のコラム 第71回
禁煙―自己嫌悪との闘い
 

ある日の職員食堂でのYさんとの会話

「煙草やめた?」
にやっと笑いながら「3本くらいになりました。先生はスパッと止めれました?」
「全然、自己嫌悪との闘いじゃった」
 
 
私がタバコを吸い始めたのは21歳ごろだったと思います。学生時代は野球をしていましたので、そんなに本数が多くなることはありませんでした。
社会人になってからは、酒の席も多くなり、タバコを50~60本/日、酒を日本酒5合以上/日ぐらいを日常とした生活でした。
28歳で結婚、31歳で家内が妊娠、「このままの生活ではいけない。煙草は自分一人の事、酒は人とのかかわりがある(要は酒が好きなだけですが)」、自分勝手な屁理屈で禁煙を決意します。
3週間ほどは何とか持つのです。
さて、ここから同じ事の繰り返しでした。
 

Stage1
禁煙3週間ぐらい、夜の酒席、どうしても煙草を欲しくて、同僚に「禁煙しとるけー、1本だけくれー」と一本だけ吸います。これが、何回か続きます。
 

Stage2
そのうち、「人のタバコをとって吸う、情けない」と思い、自分で煙草を一箱買い、1本だけ取出し・吸い、残りを「わしゃー、禁煙をしょうるけ-、吸うてくれー」と仲間に渡します。
Stage1、Stage2の期間はまちまちですが、いつも同じコースをたどります。
 
 
Stage3
Stage2から、Stage3は簡単です。酒が沢山入り、自制が取れた時に、ばーっと吸ってしまいます。もとの木阿弥です。
 
 
「なんと意志の弱い」と自己嫌悪に陥ります。禁煙は自己嫌悪との闘いでした。

この闘いを何度もも繰り返します。
 
3月に長女が生まれ、その年の4月1日から完全禁煙、約40年間弱、一本の煙草も吸うことはありませんでした。煙草を続けていたら、身体を壊し、古希までは生きてこられなかったと思います。
 
 
<追伸>煙草を止めて分かったこと
① 二日酔いの99.9%は酒でなく煙草のせい
② 煙草を止めて、一段と酒がうまくなりました
 
   
院長のコラム 第70回
第7回トマト銀行6時間リレーマラソン
 

第7回トマト銀行6時間リレーマラソンに今年も参加できました。雨の予想でしたが、7時頃家を出かける頃は、曇りでした。なんとか夕方まで持ってくれよと願いつつ、総合運動公園に8時30分ごろ付きました。
 
Bゲートの階段を上がり、スタンド下の例年の休憩場所に向かいました。この席取りは熾烈で、Kさんらが朝4時の開門を待っていつも最高の場所取りをしてくれています。今年は、彼らよりも早い人たちが並び、例年の特等席はとれず、とはいってもその対面の席が取れていました。
 
当院から3チーム参加、30人の参加者です。今年は女性参加者11人と過去最大で、嬉しいことです。
 
開会式、準備運動と進むのですが、グランドへの立ち入りが禁止され、参加者はスタンドで準備運動を終えました。人のグランドへの出入りが禁止されたお蔭で、その分時間短縮がはかられ、スムースにスタート時間になりました。
 
776チーム、バックスタンド前から一斉スタート、先頭集団はまるで100m競争です。途中小雨が降り始め、足元が濡れてきました。
 
9月末のNHK番組「有森裕子・サプライズ先生がゆく~大阪編 (再放送)」で、「脚を前に出すのでなく骨盤・重心を前に出し、脚を真下に降ろす感じで走る」をそれ以来練習してきていました。今回はこの走法で走り切ろうとまず第1周に臨みました。滑り出しは、ゆっくり、だんだんスピードを上げ(息は決して、はずまないスピードです)水平走行、1.3kmを約8分で走ることが出来ました。この走法は楽だと感じ、以後4周、計5回同じ走法・ペース(とは言っても少しずつ時間は伸びましたが)で走りきることが出来ました。私にとっては大収穫、新たに走ることの楽しさが出てきました。
 
3チームとも同じような成績(周回数 それぞれ50周、50周、46周、順位は491位、519位、647位)でした。

一時雨が強くなりましたが、終日小雨~曇りであまり気温も上がらず(そうかと言って寒くはなく)マラソンには最適の天候だったと思います。
 
ただ、負傷者が1人(アキレス腱断裂)出たのは、残念・心配です。
 
打ち上げの焼き肉を楽しみ、他部署との懇親が大いにできたのが何よりです。
 

<追伸>アキレス腱手術後順調回復、ホッとしています。
   
院長のコラム 第69回
楽行
 
最近、「楽しみ」について思うことがありました。
 
一つは、広島カープの応援にマツダスタジアムに出かけた時の事でした。
この応援は、昔の硬式野球部の仲間3人と年一回の恒例行事です。熱戦を見た後、仲間とお好み焼きを食しながら、野球談議に盛り上がりました。「ああ、年一回のすばらしい楽しみだ」と思いました。
 
もう一つは、台風の去った次の朝早くの散歩中のことです。空気が澄み、ひんやりとしていて、深呼吸するとなんと心地よい。東の空に明けの明星が輝き、虫の声が響いています。用水の流れは豊富で、街灯を写しキラキラと輝いています。夜明け前の暗闇の中での散歩・トレーニングが楽しくなってきました。「これは 一日一回の楽しみだ。苦行ではなくて楽行だ」と思いました。
 
更にもう一つ、岡大医学部41年入学―47年卒業同窓会でのことです。この会は、年一回の楽しみですが、今年は古希のお祝いを兼ねていました。恩師2人(90歳超え)、同級生34人と会え、話し、酒を酌み交すことが出来ました。
「古希の時にお互い元気で会えた、ありがたい、一生に一度の楽しみを味わった」と思いました。
 
 
日々の生活の中で楽しみを考えてみます(仕事以外で)。
「毎日の楽しみ 食事、散歩、トレーニング」
「1週間に一回の楽しみ テニス、雑草取り」
「季節ごとの楽しみ 花、食べ物」
「1年に一回の楽しみ 日本整形外科学会野球大会、花見、月見、鮎釣り」
「4年に1回の楽しみ オリンピック」
「1生に1回の楽しみ 還暦、古希での出会い、次は喜寿・・・」
 
・・・想起すれば、いろいろの楽しみがあるなーと思います。
人の絆を大切に、いろいろな楽しみを見つけながら、進みたいと思います。
 
 
<追伸>あっ!忘れてた、毎日の楽しみ 酒
 
   
院長のコラム 第68回
お盆、そして夏が行く
 

14日朝、いつものように自動車で出勤、2号線を走ります。途中立ち寄るコンビニンのご主人から
「今日、働くん?お盆で休みじゃねえん?皆な、休みで今日、店は暇よ」と言われて
「そうか、それで車が少なかったんだ」と気づきました。
 
15日朝も出勤、2号線ほとんど走行車両なし、改めて世間は「お盆休みなんだ」と痛感しました。
お盆前後の新幹線、航空の満席状況、高速道の数十キロ渋滞などのニュースを、「大変だなー」とぼんやり見過ごしていたことが、身近なことで気付かされた出来事でした。
お盆休が、最近はしっかりととられているんだと思いました。
 
 
子どもの頃、お盆になると、大人から「お盆に川に入ると、ご先祖さんに脚をひっぱられて、おぼれるよ」などといわれ、お盆以降は、川に入らなくなくなりました。その頃から、川の水が冷たくなるからだとか、七夕様の飾りをつけた笹が流され、泳ぎにくくなるからだとか言われたように思いますが、なぜだかはわかりません。お盆を過ぎると、つくつくぼうしが鳴き、赤とんぼが飛び始めます。心の中に、さびしさ、あせりが出てくる時期でした。
夏休みに入る前に、勉強・観察?などの計画を立て、意気込んで休みに入るのですが、遊ぶことに一生懸命で、結局は何もできず宿題さえも追われ、少しばかり焦り始めます。
毎年同じことの繰り返しでした。
 
この時期に重なるように、夏の高校野球選手権大会が終了します。
高校野球の熱気が一気に醒め、寂しさを強くしたように思います。
 
夏の高校野球選手権は花咲徳栄の優勝で終わりました。高校球児の汗と、涙は、99回の歴史の中で何も変わらず、人々心に感動を届け続けてきました。

今日24日夏休みの宿題はありませんが、野球の無い寂しさに浸っている午後です。
 
 
<追伸>
この気持ち、夏バテも影響しているように思います。さあ、ウナギでも食うか!
   
院長のコラム 第67回
視力の衰え
 

野球、テニスで動体視力の衰えを感じているこの頃ですが、先週目から鱗のような話を聴きました。
テニス仲間Gさん、現在79歳ですが、私よりも剛球を打ち、ボレーも以前より上手になり、加齢をものともせず強くなっています。この方は、昔膝が痛くて、私にかかり、招き猫体操でよくなり、招き猫体操の信奉者です。
 
私がGさんに質問しました。
 
剛球を打つためには、眼が大切ですが、眼の方は大丈夫ですか?
 
彼が答えてくれました。
 
眼がダメになると、テニスが出来なくなるので、毎日眼のトレーニングを10分間しています。寝た状態で、天井の模様と自分の指先を交互に見たり、指先を追って眼球を左右上下に動かしています。それでも、ゴルフの時、打ち出したボールを見失うようになりました。
 
考えてみれば、物を見る時、毛様体筋(平滑筋)の作用でレンズの厚さを変化させ焦点を合わせます。眼球は6つの筋肉(横紋筋)でスムースに動かされています。いずれの場所の筋肉であれ老化でももちろん、トレーニングしなければ衰えますし、最近のコンピューターばかし、スマホばっかし長時間見ていますと、遠近の調節、左右上下の眼球運動がうまくゆかなくなると思いました。
 
Gさんの方法がベストであるのか、どうかわかりません。回数、時間もはっきりしませんが、眼のトレーニングは、四肢の筋肉トレーニングと同様、いやそれ以上に必要と確信いたしました。「四肢の筋力トレーニングは年を取ってからでも効果がある」は現在広く世界で認められています。
眼のいいトレーニング方法を見つけて実践しようと思います。
 
 
<緊急追伸>
7月19日 NHK“ためしてがってん”・ボクシング村田、より目トレーニングで動体視力アップ
   
院長のコラム 第66回

エルドレッドは広島を愛し、広島はエルドレッドを愛している

 


6月17日(土)、広島―ソフトバンク第2戦の観戦のため、マツダスタジアムに出かけました。

硬式野球部OB仲間の年一回恒例行事です。
 

昨年は「鈴木誠也の神がかっている」サヨナラホームラン連発の後に阪神戦を見ました。内野自由席でしたので、11時開門の1時間前から入場門前に並びました。前に約50m以上の列ができており、入場した時には、自由席はもうほぼ満席に近く、やっと座る席が取れました。前回の経験を活かして、今回は開門2時間前に並びましたが、前回ほどではないにしても、ほぼ満席状態でした。

広島カープの人気上昇を感じました。


試合開始は14時、3時間の猶予がありますが、退屈ではありません。広島カープのバッティング練習が始まっていました。注目のバティスタ選手の迫力はすごいものでした。レフト方向はもちろん、ライト方向にも飛ばし、ほぼ半数がスタンドインでした。ソフトバンクのバッティング練習は、こじんまりとしていて、スタンドインする選手はあまりいませんでした。


ビールを飲み、弁当を食べながらの野球観戦、至福の時です。
14時、初回今宮選手のホームランで試合が始まりました。試合経過は、ソフトー広島 2対0から、広島がエルドレッドの2点タイムリーで同点に追いつき、後半に入りました。8回裏、ソフトバンクは投手が岩崎に変わりました。パリーグを代表する速球派です。その第1球を丸が、ガツーン、センター左に飛び込む勝ち越しホームランです。全員総立ち、スタンドが真っ赤に燃えました。
 

9回表の攻防は更にヒートアップしました。クローザー今村がマウンドへ、先頭打者を簡単に打ち取りました。この回が始まる時、一つの疑問がありました。一塁手エルドレッドを変えなかったことです。従来(昨年まで?)は、守備固めに阿部が一塁に入っていたような記憶でしたから、なぜエルドレッドを変えないんだろうと不安を覚えていました。

 

次打者の打球はファーストゴロ、緩慢(?)な動きでセーフ、「やっぱし」とつい口に出してしまいました。次の打者は三振、盗塁でツーアウト2塁となりました。ここで、ピンチヒッターの強力なライナーが今村を襲いました。彼の下腿に当たり(抜けていれば当然同点です)横にはね、エルドレッドの前へ、必死にボールを捕球、身体を倒れ込んで手でベースにタッチ、しかしセーフ、ツーアウト3塁1塁となりました。1塁ランナー盗塁、ツーアウト3塁2塁、一打逆転の状況になりました。ここで今宮、痛烈な打球が三遊間へ、阿部好捕、1回転してファーストへ投球、これがライト側に流れ、ショートバウンド、エルドレッド体を一杯に伸ばしナイスキャッチ、間一髪アウト、ゲームセット、全員総立ち、燃えに燃えました。

 

熱狂カープフアン先輩Mさん曰く「エルドレッドはファーストの練習をしっかりして、最近はうまくなっているんよ。広島が好きで、年棒1億円で頑張ってくれているんよ」。
 

エルドレッドは広島に愛されていると痛感しました。心の中で「エルドレッドごめん」謝りました。

 

このような感激は、球場に足を運ばなければ味わえないことでした。

 

すばらしい一日でした。

 

   
院長のコラム 第65回
70歳の決意
 
 
もうやめた 酒は止めたと 二日酔い
 
私は、32歳(長女が生まれた時)煙草を止めました。41歳の時末っ子を授かり、それを契機にダイエットを始め、90kgあった体重を7年間で70kgに落とすことに成功しました。

それ以降で、最大の目標は「節度ある酒」でした。
恩師の故田辺先生は、私がお世話になった時(約38年前)には「節度ある酒」の飲み方が確立されていました。沢山飲まれることはできるのですが、ある一定の量を飲まれたらコップに上に手を置き、「もういい。水をくれ」と酒を注ぐことを断られました。
 
私も今まで、何度となく「恩師の飲み方」になろうと挑戦してきましたがその都度挫折しました。田辺先生の「花川、酒が飲めんようになったら終りど」の言葉に甘えていたのかもしれません。
 
飲み過ぎた時の行動で、次の日に最も悔やむのは、「2次会のラーメン・うどん」店に立ち寄ることです。「節度ある酒」の時は、決して立ち寄ることはないのですが、飲み過ぎるとタガが外れ、タクシーを待たしてでも(ひどい時は運転手さんを誘って)食べてしまうのです。一次会でしっかり食べた上にまだ食べるのですから、太りますし、当然胃の調子はよくありません。ここ数年間「立ち寄り」は無かったのですが、今春の花見の時、しっかり飲み・食べたあと、つい「Yラーメン」に立ち寄り、「Gのたこ焼き」を買い食べてしまいました。
「しまった」と久しぶりの懺悔でした。
 
決定的な出来事は「靴の取り違い」でした。
5月20日、教室の飲み会で、私の誕生日を祝うハッピーバースデイの歌を参加者全員で合唱してくれたのが嬉しく、飲み過ぎ、ホテルに帰りました。翌朝、靴をはき違えていることに気づき、あわてて対応しました。初めてのことです。                 
 
 
「70歳を過ぎてなんたること」と、自省の念強く、遅まきながらこれからは「田辺先生の飲み方」を実践しようと思います。
 
 
酒止めた 3日坊主で また明日
挑戦を続けます
 
   
院長のコラム 第64回

今年も置き去りにされました
  

 

今年も西大寺マラソンに参加しました。4年連続の参加です。
コースは3km、10kmの2部門ですが、今年から、従来と変わったことがいくつかあります。ます前もって、ゼッケンが送られてきました。これにより、当日の受付が必要なくなりました。受付業務が無くなり、大会運営の方々には負担軽減になったと思います。そして、3kmの部が、A:20分以内で走れる人、B:20分以上40分までの人の2部門になり、スタート時間がそれぞれ8時30分、9時10分となりました。私は当然Bに参加です。小林理事長はじめ14人がB部門に参加しました。

 
スタート・ゴール地点は、緑化公園、新岡山西大寺病院に挟まれた道路になります。近いので、荷物を病院に置いてスタートが切れます。8時過ぎに会場に出かけました。今年のユニフォームは派手、ユニークで、すぐに当院職員が分かります。A部門には井久保副院長はじめ7人が出場しました。8時30分スタート「がんばれよ!」と声をかけて見送りました。

 

9時前スタート地点に集合してみると、A部門(216人)に比して参加人数が約4倍(910人)でした。ゆっくり西大寺の町を楽しもうと思っている人が多いのかなと思いました。私も、1km10分ペース、30分を目標にスタートしました。最前列にいた人たちはあっと言う間に消えてしまいました。最初の1km11分で通過、少しペースを上げました。毎年応援してくださるIさんが「先生がんばって」と声をかけてくださり更にペースアップ、1.5kmあたりでN社長が応援してくださりびっくり、快走?を続けます。2km18分で通過、このペースでゴールに向かいます。ゴール前400mあたりで、約100m前方に、昨年私を置き去りにしたF君の歩く姿を発見「今年は追いついて、一緒にゴールできる」と思っていたら、F君、私に気づかず再度走り始め視野から消えてしまいました。

それほど呼吸も乱れることなくゴール、24分1秒 B部門40歳以上で100位でした。「今年も完走できた」と大満足です。

 

参加数約3千人と小規模ですが、平坦で走りやすく大変家族的なマラソン大会で、来年も参加しようと思います。

   
院長のコラム 第63回
 水の流れ

 
流れ来る さくら花びら 次々と
 
桜満開が過ぎ散り始める頃、用水路に桜花びらが次々と流れてきます。途切れたと思うとまた一つ、また一つと流れてきます。一度この桜花はどのあたりから用水路に落ちているのだろうかと、用水路を少しばかり遡りましたが、数10メーターで諦めました。用水路が、蓋をされ、追えなくなってしまったからでした。
 
 
私は水の流れを見るのが好きで、じっと流れを見ていますと、心が落ち着きます。散歩道には水田が散在していますので、用水路の流れを見ることが出来ます。用水路の流れは、日によってその水量が違います。全然流れていないように見える時、水量豊かに流れる時、様々です。平日散歩する時間は早朝で、まだ暗い時です。水の流れが止まっている時は、街灯がそのまま写り、流れが豊かな時は、様々な水紋をみることが出来ます。幾何学的な紋様になる時もあります。
 
 
 
流れの水音を聴ける場所が数か所あり、その場では目を閉じて耳を澄まし、眼を閉じます。渓流を想い、イメージを膨らませます。健康づくり財団附属病院前の桜並木の東の堰は、水量が多く、流れ落ちる音も大きく、心が洗われます。堰が絞められた時、散った桜が桜並木の水路の水面に一面に浮かび、お花の絨毯になります。この景色は残念ながら、まだ二度しか見たことがありません。
 
 
最も大きな水の流れは吉井川です。病院の6階から東に見ることが出来ます。永安橋から河口まで大きな柔らかな流れが続きます。朝の陽の光で川面が照り輝くのを見ると、その壮麗さに打たれ、思わず手を合わせます。
 
 
「行く川の流れはたえずして、しかも、もとの水にあらず」一日一日を大切に進みたいと思います。
 
   
院長のコラム 第62回
 侍ジャパン
 
第4回WBCは、米国の優勝で終わりました。侍ジャパン(日本)は残念ですが、準決勝で米国に1-2で敗れました。
結果は敗戦ですが、私は侍ジャパンを誇りに思いました。
 
 
3月24日 朝日新聞 朝刊
   
子どもの頃から野球が大好きで、日本プロ野球終了後大リーグの選抜軍が来日し、各地で親善試合をするのを見てきました。その頃からどんなに日本が頑張っても、やはり大リーグが上で、選手のパーフォマンスもどこか余裕、悪く言えば日本を見下した姿勢でした。
 
 
第1回WBCは2006年に始まりました。日本は第1回、2回に優勝をしています。米国も第1回から参加していますが、参加した選手の質も落ち、本気でありませんでした。こんな大会をしなくても、野球の王者は大リーグであり、時季外れ(リーグ開催直前)の大会など軽く見ていたと思います。
 
 
今大会に参加するに当たり、トーリGM(元ヤンキース監督)、名将リーランド監督がオールスター級の選手を粘り強く集め、必勝の気持ちで参加していました。日本との準決勝の戦い方もひたむきで、勝った時の喜び様を見て、これはやはり本気だったんだと思いました。日本は動くボールに打撃は封じられましたが、最少得点の争いに持ち込み、相手を恐れさせ堂々の戦いをしました。日本の野球もここまで来たかと嬉しくなりました。
 
 
<追伸>いよいよ、プロ野球開幕、胸わくわくです。
 
   
院長のコラム 第61回
お接待の心
 
 
先週末、嬉しい体験をしました。
 
毎年年2回高松で気の合った仲間と、銘酒を楽しむ会をします。
 
その前に、高松・香西時に、7年前に亡くなった後輩の墓参りをしました。香西駅から、香西寺まで、徒歩で約30分の距離です。香西駅を出発して、すぐ地元の人に場所を尋ねると、丁寧に教えてくれ「歩くには遠いですよ」と心配してくれました。時間もたっぷりあるし、やはり徒歩で行きました。
 
墓は、香西寺の墓地の中腹にあり、きれいなお花に飾られていました。「儂も古希になった。元気でやっとるけー」と報告、祈りました。
 
墓参りを済ませて、香西駅に帰ろうとして、寺を出てすぐ道に迷いました。通りがかりの自転車に乗った5人の小学生(高学年)に、「香西駅はどっちかな?」と尋ねると、「家に帰る方向なので、案内します」と自転車を降りて、駅に向かって案内を始めてくれました。国道11号線に出て、「もうわかるから、ありがとう。先に行って」と言いましたが、結局駅まで約25分を、歩いて送ってくれました。
 
大変嬉しかったのですが、彼らの会話には参りました。
 
先頭の男の子の脚が速く、私を置いてゆくのです。その都度、女の子(この頃は、女の子の方がお姉さんだなーと思いました)が、

「K、速い、おじいちゃんに合わせて」

「おじーちゃん!そうか、そう見えるだろーな」と納得、
 
「ありがとう、70歳じゃから早う歩けん」
 
「70歳?若く見える」、一瞬「50代か」と思ったのですが、
 
とどめです、「60代にみえる」に、思わず苦笑してしまいました。
 
それにしても心温まる体験でした。
四国88か所の「お接待の心」が彼らのDNAに刷り込まれているのでしょう。
 
   
院長のコラム 第60回

北斗七星

 
ほのぼの明かりて 流るる銀河
オリオン舞い立ち スバルはさざめく
無窮をゆびさす 北斗の針と
きらめき揺れつつ 星座はめぐる
 
 
今2月、空気は澄み星が最もきれいに見える季節です。
オリオン座は星座ですが、北斗七星は星座ではありません。
しかし、私もそうですが、皆さんも北斗七星の名は、子供の頃から知っており、最も身近な星座と思っていると思います。
 
北斗七星は、おおくま座の一部で、その背中から尻尾の部分にあたります。フライパンの形(柄杓)で、北極星(無窮)を探すのに一番役立つ星座(?)で、天空の道先案内人と言われてきました。
 
2月未明の空、天空を北に見て西の空に北斗七星はあります。柄から杓に移る部の星の輝きが弱く、2月以外では、私の視力が弱いためか、見えない日の方が多いのです。2月になると清浄な空気のお蔭でこの星を見ることが出来るようになり、柄杓の形を楽しめます。
 
毎年2月に起こる疑問があります。無窮(北極星)をゆびさす北斗の針は、西からまっすぐ東に向かい、その約5倍の線上に北極星があると言われています。しかし、私の目には北極星は微妙にずれ、針と一直線上には無いように見えます。何度見直しても少しずれています。皆さんの目ではどうでしょうか。
ぜひ寒さに耐えて、確認してみてください、星座を楽しみながら。
 
 
〈追伸〉
寒い夜、ゆっくりと深呼吸しながら、白い呼気を星に向かって息かけてみてください。

心が落ち着きます。

   
院長のコラム 第59回
秀吉の活
 
山陽新聞朝刊 新聞小説「秀吉の活:作者 木下昌輝」を毎日楽しみに読んでいます。
新聞小説を毎日欠かさず読むのは、朝日新聞「宿神:作者 夢枕莫」以来です。
 
 
「秀吉の活」は豊臣秀吉の物語で、百姓から次第に織田家の家臣として出世してゆく過程を楽しく読むことが出来ます。1月17日、18日、19日は「第5章天下人の勤活(18)、(19)、(20)」です。藤吉郎が織田家家臣を続けるかどうか悩んでいることに対し、佐久間信盛に妙薬(教え)を貰い受けに行った時のシーンです。
 
 
佐久間信盛ですが、私の今までの知識では、織田家の宿将ではありますが、愚将であったと認識していました。石山本願寺との長い戦いで軍功もあげられず、織田信長から「19条にわたる折檻状」をつきつけられ、織田家から追放され、高野山に落ちて行った凡庸の人と思っていました。
 
信盛、藤吉郎の会話を一部紹介します
「どうして、上様は松永め(松永弾正のこと)に三度も裏切られたのでしょうか」
「それは、上様が松永の心を攻め落とすことが出来なかったからじゃ。力だけで屈服させても、いずれまた乱が起こる。結局、どちらかが滅ぶまで殺し合いが続く」
 
・・・・・・・・・・・・・・
 
「藤吉郎よ、このまま儂が本願寺を囲み続ければ、数年の後には屈服させることができる。なれば、どうなると思う」
「そうなれば、大手柄でございます。上様からご加増がありましょう」
「本願寺を下せば、儂はきっと追放される。上様の目には、儂の戦い方は敵を恐れ、いたずらに戦を長引かせているように見えるだろう。きっと、きつい折檻の言葉と共に、すべての禄を没収される」
 
・・・・・・・・・・・・・・・・
 
「上様が目指すもののためならば、儂の手柄や所領など惜しくはない。ちっぽけなことよ。その礎となれるなら、喜んで地位や名誉など捨ててやるは」
 
 
信長の「天下布武」の先にあるもの「戦国の世を終わらせ、平和な世にすること」を夢見ての言葉です。
 
 
 
作者によって、凡庸の人が、こんなに生き生きと、魅力ある人物に変わるのか、これからの展開に心が踊ります。
 
 
<追伸>山陽新聞社から感謝状が届くかなー
 
 
院長のコラム 第58回

「真心」


1月11日夜帰宅時、岡山西大寺ハローズの駐車場に多くの人が集まっていました。映画の撮影が行われていました。聞くところによると佐藤健、土屋大鳳が来ているとのことでした。

 

そのことを子供に話すと「すごい!」とのこと、「佐藤健はQ10,るろうに剣心、天皇の料理番などに主演してきた。今が旬、ビック」と教えてくれました。「天皇の料理番?あーっ!あの時見たビデオの主演が佐藤健だったのか」と思い出しました。

 

昨年5月岡山大学ピッツバーグ大学視察団に加わって米国を旅した時、ANA機中で見た映画の一つでした。Episode7(第7話)で主人公の迫力、そして「真心」という言葉が強く印象に残りました。帰国後、挨拶の時「我々は真心の医療で頑張りましょう」と折々に伝えてきました。

 

「天皇の料理番」は、大正から昭和の約50年間、宮内省大膳職司厨長(料理長)だった秋山徳蔵の物語です。佐藤健主演のものを含めて現在までに3回テレビドラマ化されています。


Episode7(タイトル:パリと差別と結婚)の印象的なシーンを、you tubeから簡略に紹介します。
 

 

舞台はパリ、篤蔵(徳蔵ではなく)はオテル・マジェスチックで小僧として、フランス料理修行中です。同僚の差別にもめげず、料理長に次第に認められ責任ある仕事を少しずつ与えられていました。


ある日、篤蔵愛用の包丁が何者かによって壊されました。日頃から篤蔵を侮蔑していた同僚に詰問しますが、とぼけられ怒りが爆発します。彼を押し倒し、首に包丁をつきつけ、「儂が包丁さばきが何故うまいか教えてやる。日本人は昔から刀で切り会ってきた。相手の首をはねる・・・」
このことで、篤蔵はオテル・マジェスチックを辞めざるをえなくなりました。


粟野フランス大使(郷ひろみ)に相談していたところに、オテル・マジェスチックの料理長が訪ねてきます。彼は、退職を告げに来たのではなく、篤蔵に戻って欲しい気持ちを伝えに来たのです。


料理長「篤蔵の技術はすばらしい。そして、包丁の手入れ、灰汁取り、皿洗いなど、何事にも手を抜かない。手を抜かないということを、日本ではどういうのか?」

 


篤蔵「真心(sincere heart)」

 

 

 

今年も「真心の医療」で進んでまいりたいと思います。
 

 

<追伸>この後、徳蔵は「小僧」から、日本人として初めてユニオン(フランス料理人の組合)の会員になりました。
 

 

 
 
院長のコラム 第57回

「健康第一」

 

新年あけましておめでとうございます。

 

 

新病院で初めての新年を迎えました。旧病院は耐震工事が終わり、昨年11月から療養病床として、開院いたしました。

 

療養病床は、急性期の治療をひとまず終えた患者さんの中でまだ治療の必要な人達のための病床で、腰を落ち着けて長い期間治療を行うことが出来ます。地域の皆様により安心していただける体制が少しずつ整ってきてはいますが、まだまだ足らないところが一杯です。努力を重ね「真心の医療」で頑張ってまいりたいと思います。 

 

15日朝535分 NHKニュース番組

 女性アナウンサー「**さん、今年の目標は?」
 **さん「まず健康です」
 女性アナウンサー「私もまず健康ですね」

 

 私の信念は「体心技」です。健康で、元気に過ごせる身体をつくり、維持してゆくことが最も大切だと思っています。そのため、何十年も毎朝勤行(トレーニング)を行っています。私のトレーニングは、運動強度で言えば、軽いものばかりです。すべて自分の体重を利用したもので錘・器具は使いません。等尺性・等張性運動を組み合わせています。トレーニングの回数、例えばスクワットは36回で、ここ十数年かわりません。十数種類のトレーニングを行いますが、種目はここ数年間で増えてきています。四股を踏むこと、腰痛予防伸展体操、ブロック昇降、片脚スクワットなどです。最近加わったのは、斜め懸垂です。今年はこれに加えて、2つのトレーニングを始めました。

 

一つは病院の階段の昇りダッシュです。朝出勤時3階自室まで、朝8時の病棟周回時、6階までの階段ダッシュです。もう一つは福(愛犬)を抱えてのジョギング「借り物競争」50mです。福は約7.5kgありますので、唯一錘(福)を使った運動で、いいトレーニングになります(福には迷惑でしょうが)。以前から、時々やってはいたのですが、毎日やってみると、腰周り、尻周りが強く、安定してきたように思えます。

 

元気にトレーニングできることに感謝しつつ、地道にやって行きたいと思います。

本年もよろしくお願いします。

 

<追伸>すべての道は、5月日本整形外科学会野球大会(仙台)のマウンドに立つことに通じます。

 

 

 

 
   
院長のコラム 第56回

「第2回 岡山マラソン」

 

2回の岡山マラソンに参加しました。とは言っても私が参加したのはファンランです。ファンランとは「fun Running」、文字通り「走りを楽しむ」と言うことで、フルマラソンなどとてもとてもという人でも、走りを楽しむことが出来ます。

 

ここ数年間、西大寺マラソン(3km)、6時間リレーマラソンに参加してきましたが、今回が最も大きな大会です。参加人数は約16000人、伊原木岡山県知事、大森岡山市長、有森裕子さんなども参加され、岡山県・岡山市をあげての大会です。

 

フルマラソンは、ジップアリーナ岡山前を出発点に、岡山市南部の西紅陽台を折り返し点に、田園地帯を周遊し、岡南大橋で旭川を渡りその東河畔を北上、岡山城・後楽園を左に見ながら、新相生橋を経て終着点シティライトスタジアムを目指します。ファンランも同じコースを使い、4.5km、市役所が終着点です。

 

  

 

7時前、岡山駅から県スポーツ公園に向かいます。人はどんどん増え、公園に着くころには群衆になっていました。簡易トイレ(沢山用意されていました)で,用便をすませ、荷物を預け、8時過ぎスタート地点に向かいました。

 

スポーツ公園東側の直線道路がスタート地点で、フルマラソンの持ち時間の最も短い人が、Aゾーン、以後持ち時間に合わせてBからEまで区分されています。Eゾーンの人達はおそらく完走5-6時間の人でしょう。私たちファンランは、Eゾーンの後、Fゾーンになります。

 

815分からセレモニー、上空をヘリコプター2機旋回します。いくつかのビルの屋上には、多数のカメラマン、立っている姿を見ると、周囲に柵もなくぞっとします。8時45分スタート、16000人同時、Aゾーンから動き始めます。Fゾーンの我々が走り始めたのは、号砲から10数分も過ぎていました。

 

済生会病院を左折、就実高校前を通り右折、県立美術館の前で和太鼓の激励を受けます。城下十字路を右折し、岡山駅に向かいます。沿道の人の数も多く、沢山の激励の声が飛んできます。岡山駅を左折、桃太郎通りを南下します。あと約1km、この頃から脚が少し重くなってきました。「そうだ、応援の人の中に知り合いを見つけよう」と思いつつ走ることにしました。脚が軽くなってきたから不思議です。「あら、花川先生!」行き付けの炉端焼きのおかみさんを見つけ「よーっ!」、いよいよ元気が出ます。あと400mの表示で「もう大丈夫」とラストランに入りました。市役所ゴール935分、制限時間の3分前でした。完走証と記念タオルをいただき、大満足でした。

 

 

<追伸>ファンランを走られた伊原木県知事の元気、軽快さに「びっくりぽん」でした

 

 

 

 

 
 

   
院長のコラム 第55回

「宝物」

 

皆さんには、それぞれいくつかの宝物があると思います。

私の宝物の一つは、昔の新聞記事のコピーです。

 

 

「中学時代、花川さんはあの平松(第37回高校野球選抜大会優勝投手、プロ野球で201勝)と投げ合った」と、折おり言われました。そんな事実は無いのですが、あえて一回一回否定するのも煩わしいと思ってきました。

 

森安(日比中、関西高校から東映フライヤーズに入団、パリーグの新人王獲得)と松岡(倉敷西中、倉敷商高、三菱自動車水島、プロ野球ヤクルト 191勝)とは投げ合ったことはありましたが、平松投手とは投げ合ったことはなく、彼は高梁中学の強打の一塁手?と言う認識でした(ある情報から、そう思い込んでいました)。ですから、「県北西部の高梁中学の平松一塁手を、なぜ高校野球の名門岡山東商がとったのか?」という疑問がずっとありました。

 

 

過日、矢掛中学同窓会に出た時、仲間が「志郎さん、優勝した時の記事があるけど、いるか?」と問いかけてきましたので「いる」答えました。

後日その記事のコピーを送ってきてくれました。昭和36113日、118日の山陽新聞のスポーツ記事でした。第3回岡山県中学校秋季野球大会の記事(①)です。この大会で優勝(記事④)したことは覚えていましたが、新たな発見がありました。

 

平松投手がこの時高梁中学のエースで大活躍していることです。一回戦で、その頃私が最強と思っていた倉敷西中(当時、県N01大源投手を擁し、松岡投手は遊撃手で4番です)に21で勝ち(記事②)、準決勝で日比中(対戦相手は森安投手です)を1点に抑えています(記事③)。全然知らなかったことです。「これなら岡山東商が取りに行くわ」と納得しました。

 

 

平松、松岡、森安(同級生になります)の3大投手と一緒に載った記事は私の宝物です。

 

 

<追伸>大学に入り、硬式野球部に入部、2年生の春に、その頃三菱自動車水島でエースだった松岡投手と練習試合で対戦しました。丁度プロ野球に入る前です。直球は速くて見えず、ドロップは頭の上から、膝下まで鋭く落ちてゆく感じで異次元・別世界でした。

「高校野球に進まなくてよかった」と、つくづく思いました。

 

 
 
 
 
 
記事① 県中学校秋季大会(昭和36113日)
 
記事② 一回戦 倉敷西中(松岡)
          対 高梁中(平松)
 
 
記事④ 右端が私です
 

記事③ 準決勝 高梁中(平松)

           対 日比中(森安)

   
院長のコラム 第54回

「第6回トマト銀行6時間リレーマラソンー小林理事長初参加」
 

 

今年も、第6回トマト銀行6時間リレーマラソンに参加しました。

昨年より一週早くなり、10月2日(日)に開催されました。大会1週間前の天気予報では、雨でしたが、前日には曇り時々雨となっていましたので、当日安心して出かけました。

 

 

8時Aゲート集合、競技中の休憩場所に到着します。この場所取りのため、4人が朝6時前から頑張ってくれました。休憩場所はスタンドの下で、日中陽が当たらず涼しく休憩には最適の場所です。感謝感謝です。

 

 

昨年の800チームを更に上回り、822チームが参加しています。応援、ボランティア、大会関係者などを含めれば、1万人を超えるビッグな大会となりました。

 


8時45分からの準備体操、ゲスト紹介などのスケジュールは例年と変わりません。ゲストは「じゅんいちデビッドソンさん」です。隣のTさんに「誰?」「本田の物まねのタレントです」、話しぶり、容姿で納得しました。

 


西大寺病院は3チームが参加しました。透析チーム、リハビリ科チーム、病院チームです。昨年、医師は、井久保先生と私が参加しましたが、今年は小林理事長、原田副院長が参加され計4名になりました。小林理事長の参加は、昨年から「来年のリレーマラソンにはでる」の有言実行でした。
 

 

10時スタート、周回数を競うのではなく「楽しみながら、タスキを繋ぎ、絆を深める」と謳われながら、やはり競えるチームは100mダッシュのごとくあっという間に競技場を出て行きます。顔無し、スーパーマン、マリオ、セーラー服、スパイダーマン、などの衣装を着けて走るチームも沢山あり、楽しみの一つです。

 

 

また、昼ごろには、10数件の出店で、昼食を求めるのも楽しみです。小豆島ラーメン、蒜山やきそば、津山ホルモンうどんなどの出店には列ができます。開始後3時間(半分)を過ぎると、時計の進み方が早くなっていくような気がします。私は、100m1分のペースで走りますので、1周約13分かかりますが、我がチームのほかの若い人は5分~7分のペースで走ることが出来ます。 残り1時間になると「あと一回か」と、ホットし、元気も出ます。4時ぴったりに終わるのでなく、最後に出たランナーがゲートを走り抜けてリレーマラソンが終了します。私は、今年も5周走ることが出来き、達成感に浸りました。

 

 

成績は、822チーム中透析チーム138位(58周)、リハ科チーム487位(50周)、病院チーム570位(48周)でした。

 

 

<追伸1>競技後の食事会は、最大の楽しみで、今年は焼き肉です。肉を一杯食べて疲れを癒しました。

  

<追伸2>参考までに、1位は84周でした。

 

 

 

 

 

 

 
 

 
   
院長のコラム 第53回

「私の秋」

  

最低気温が20度近くになって来ると秋を感じ始めます。
空が高くなり、雲の様相も変わってきます。
 
初秋です。

 
私が、秋を実感するのは、散歩道で見る初秋の花たちとの出会いです。
 
まず一番は朝顔です。朝顔は夏に見る花で、赤、紫、青などいろいろな色があり、大きな花です。しかし、今の時期、散歩の初めの頃、いつもの場所に朝顔が咲きます。用水路の塀あたりと、笹が瀬川の土手法面の草むらに見ることが出来ます。花は小さく、薄い青色で、可憐な感じがします。「今年も見ることが出来た、そろそろ秋だなー」と実感します。
 
笹が瀬川はこの時期豊かな水が流れ、多くの雑木は葉が繁り、森のように見えます。
ツユクサ(?)も法面の草むらに咲いています。野草は折々に見ることができますが、
名前はわかりません。
図鑑で調べるような努力はしたことがありません。
ただ見て楽しむだけです。
 
鶏頭、コスモス、彼岸花は別の用水路のあたりに咲いています。子供の頃、彼岸花は田舎では「きつね草」と言って、良い印象はなかったように思います。
今の年になると、その赤色が華やいで好ましく思えます。
 
 
散歩の終わりごろ、黄色の花のお花畑(私が勝手につけています)も、鮮やかで心が和みます。
丹精込めた花壇の花もいいですが、野に咲く花も目を楽しませてくれます。
 
 
いよいよ本格的な秋の到来です。
 
 
堀の朝顔
 
草むらの朝顔
 
 
鶏頭
 
彼岸花
 
花畑
   

<追伸>最近雨続きで、なかなか秋が来ません。

   
院長のコラム 第52回

「懸垂」

 

近くの公園で逆上がりをしようとしました。全然できません。

それではと、懸垂をしようとしましたが、びくとも身体は上がりません。

「えーっ!」と思いました。

 

毎朝、腕立て伏せ、欄干ぶらさがり、腹筋、背筋などのトレーニングを1時間弱していますので、懸垂などはすっとできると思っていたからです。考えてみますと、野球をしていた大学時代にはできていたと思いますが、前回何時懸垂をしたか、はるか遠い昔で覚えていないのです。

「懸垂はできる」と勝手に頭の中で思っていただけでした。

 

私は子供のころから野球をしていましたので、野球のパーフォマンスで、自分の運動能力を測ることができてきました。遠投力は衰え50mも投げれません、もう軟式用バットさえも重たくなってきました。打球への反応は鈍く、外野フライはとれません。かように、体力の衰えは認識してきたつもりですが、単純な運動である「懸垂」(少しばかり馬鹿にしていました)が出来ないことにショックを受けました。

 

 

そこで「懸垂」について、インターネットで調べてみました。あるある、一杯あります。

懸垂のやりかた(逆手、順手)、懸垂の効果、懸垂に関わる筋肉、・・・・・、そして、懸垂の出来ない人のトレーニング方法が書いてあります。野球やジョッギングを毎日していて、強いと思われている人の中に意外と懸垂のできない人がいると書かれてあり、納得しました。握力、背筋、上腕2頭筋などの筋力強化をまず始めなさい、体重過多はいけないとありますが、わたしは65kgですので、これは問題ないようです。

 

 

まず手始めは、斜め懸垂、足を地につけた懸垂から始めなさいと書いてありました。

これから始めようと思います。

 
 
斜め懸垂
   

<追伸>絵に描いた餅:6か月後には懸垂1回できるように頑張ります。

   
院長のコラム 第51回

「我 厳しきもの 見たり」
 

 

曾野綾子さんは著書「心に迫るパウロの言葉(新潮社)」の中で、「いつくしきもの」を「端正で立派」と書いています。そして「自分がすばらしいことに出会ったという事実を、常に<心に留め>ておけば、死ぬ時も思い残しがない」と述べています。
 
 
盛全会 夏祭りのゲストに杉良太郎さんが来られました。
あの「杉様」です。
 
文吾捕物絵図などでテレビ出演、一躍有名スターに、その後明治座・新歌舞伎座などで座長公演をこなした大物中の大物スターです。古くは無名の頃から刑務所慰問に始まり、有名になってからも、幅広く社会奉仕活動を行ってこられています。
 
厳しい人という情報がどこからともなく入っていて、写真撮影、ビデオ撮影厳禁と、何度もアナウンスされ、粗相があってはならないという緊張感の中で講演が始まりました。
 
その前に、スタッフとの記念撮影があり、ドアーから出てきた、杉様を見て「若い」「姿勢がよい」「背が高くて、がっしりしている」の印象を受けました。
 
最初から全開です。
「すきま風」「明日の詩」、身体が震えるような感激、次いでトーク。阪神大震災、東日本大震災、熊本大震災などの救援・慰問などに対する世間のやっかみに対して、「偽善で売名行為 結構。皆さん、困った人に100円、いや1000円、まして1万円あげますか?」と話す迫力は、文面で読むのとは大違いでした。
 
熊本のハンセン氏病施設の話も心を打ちました。
「国民一人一人がお詫びをしなければならない」。施設内で公演(遠山の金さん)をすることを約束し、それをしっかりと実行したこと、その熱意・責任感に圧倒されました。歌は「江戸の黒豹」「男の土俵」と続きます。このあたりまでは、過去に聴いたことがある曲でした。
 
杉様から会場の緊張感を和らげるよう「何が聞きたいですか」の提案、すかさず「伍代夏子さん」の声がかかりました。杉様曰く「伍代さんは、さっぱりとした性格で、くよくよしない。家に男が2人います。伍代さんは料理を作る人、私は食べて片付ける人」と良い夫婦ぶりを披露されました。
 
歌は、あと3曲披露されました。
最後の歌は「神様への手紙。作詞 杉良太郎」です。杉様の気持ちが込められた詩です。
「私は神様に手紙を書きました」で始まります。
「神様あなたは頼まれすぎてお疲れですか?まさか聞き流してはいないでしょうね」では思わず笑ってしまいました。
 
最後の「今の世の中だからこそ 余計にあなたは必要とされているのです 神様への手紙 どうかどうかどうか 届きますように」
 
人間 杉の心の叫びを聞きました。
 
まさに<我、いつくしきもの見たり>でした。
 
 
 
   
院長のコラム 第50回

「七夕さま」


ささのは さらさら のきばに揺れる お星さま きらきら 金銀砂子
 

 
 
   

 

「お星さま きらきら 金銀砂子 」は天の川です。

 

私の故郷、矢掛は南に遥照山天文台、北に美星天文台のある山間の宿場町です。子供の頃、夏の空を仰ぐと無数の星の帯、天の川をはっきりとみることが出来ました。いつの頃からか、天の川は、岡山の夏の空から消えてしまいました。
 

 

夏、私の子どもの頃あって、今ないものについて考えてみました。
まずは蚊帳です。日本脳炎は蚊が媒介し、夏に流行するので、必ず蚊帳の中で寝ました。蚊帳の中が暑かった記憶はありません。今ほど夏が高温でなく、また窓を開けて寝ていたからだと思います。蚊帳の中に入る時、蚊が中に入らないように蚊帳の端をばたばた振払って、さっと中に入っていました。楽しい想い出です。

 


次いで「川で泳ぐこと」です。私の家の前に、道路を挟んで小田川が流れていました。夏休みなると「川で泳ぐこと」が、一番の楽しみでした。小学校の決まりで午前中に泳ぐことは禁じられていました。が、それを破って午前中から泳いでいました。20mほどの川幅を、どんな泳法でも泳ぎ切ることが一人前の証でした。小学1年生の頃?上級生が並泳してくれ、おぼれそうになると助けてくれました。何度かやっていると、泳ぎ切ることができたのでした。地区の子供は、ほぼ全員川の中にいました。上級生が仕切り、小さなコミュニティが出来ていたように思います。
 

 

夏の川といえば、その頃短冊を結んだ笹を川に流す習慣がありました(現在と異なり七夕さまは旧暦でしたから、8月7日ごろ、お盆前でした)。この笹が上流から流れ来る頃、「お盆には川にはいってはいけない、入ると先祖様に脚を引っ張られておぼれる」と大人に脅されていたように思います。ですから、川泳ぎはお盆前までの楽しみでした。

 

 

<追伸1>

私の子供の頃無くて、今あるもの、猛暑日、熱帯夜。熱さ対策をしっかりして、熱中症に気を付けてください。


<追伸2>

7月8日山陽新聞朝刊[瀬戸大橋上空瞬く天の川]の記事あり。気象条件が良ければ、天の川はまだ見ることが出来るんですね。
 

 

 
 
   
院長のコラム 第49回

「百合」

 

自然誌おかやま2(発行:自然研究会 発行者:吉澤利忠 NO51)にささゆりの事が書かれていました。

ささゆり?と気になりました。丁度、先日のお茶会でいただいた百合が、我が家の玄関で強烈な匂いを発しているから、興味が湧いたのかもしれません。

 

 

まず私が挙げることのできる百合の名前は、姫百合、鉄砲百合、山百合ぐらいで、その違いはわかりません。私の知識は「百合はどれも大体同じでしょう」と言う程度ですから。

 

ささゆりについて、自然誌おかやま には「林の中にひっそりと佇むササユリは優雅ですね。そしてほんのりと薄化粧をした姿は貴婦人を思わすようで、正にユリの女王と言えるでしょう(磯野)」と書かれています。 

 

近年は乱獲されて、山野で見ることがなくなりました。

 
 
 
我が家の百合(名前は?)
   

その他をインターネット(ウイキペディア。ユリの花言葉と品種や育て方。百合-季節の花300.百合の花コレクション。百合(ゆり/リリー)の花言葉!白やピンクの意味や由来 参照)で調べてみました。

 

その種類の多さに びっくりぽん です。

多すぎて、そのいくつかを挙げてみます(写真はインターネットでどうぞ)。

 

まず宴会場で華やかに活けられ強烈な匂いを発するカサブランカ。恥ずかしながら、ゆり名にカサブランカがあることを知りませんでした。その歴史は意外と浅く、1970年代オランダで作られ、世界に広まったとあります。

日本に自生するヤマユリ、タモトユリなどを原種とするオリエンタル・ハイブリッドです。ハイブリッドとは原種の交配を意味します。

 

ちなみに、日本は百合の宝庫で、19世紀にヨーロッパに持ち帰られ、改良がなされたそうです。

 

 

 

次に姫百合について調べました。

 

夏の野の 繁みに咲ける姫百合の 知らへぬ恋は 苦しきものぞ 

[万葉集 大伴坂上郎女]

 

と言う歌で、その名前を知っていて、以前から興味がありました。小振りの花で、緋色~濃い赤色の花です。

花言葉は「誇り」です。野に咲いている所を見てみたいと思います。

 

もう一つ 鉄砲百合は、これこそ私がイメージしていた百合でした。

花の色は純白で筒状の花を咲かせます。今の時期花屋さんの店頭に、多く飾られています。

 

百合は「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」とたとえられ、昔から人々に愛されてきました。夏のこの時期、香りと共にその美しさ楽しみたいと思います。

 

 

 

<追伸1>花を調べるのは大変、今回で終わりにします。ただ見るだけにします

 

<追伸2>国営備北丘陵公園(広島県)で今の時期、ササユリが鑑賞できます

 

 
   
院長のコラム 第48回

「病院案内」

 

 

過日、S先生に病院を視察していただきました。私の最も尊敬する先生で、ぜひ来ていただきたいとの夢が叶いました。私の親友M先生もご同行してくださいました。


お二人を案内した順番で、ざっと病院内を紹介させていただきます。
 

外来受付でペッパー君に会えます。

 

 
 
   

まず、一階の保育所を案内しました。

S先生は常々、これからの女性の職場には、保育所が絶対必要と説かれているからです。

保育所を、まず内部から、そして、外に出て、土の遊び場を見ていただきました。

「これだけ広い遊びがあるといい」とのお褒めの言葉をいただきました。

 
 
   

他に1階には、総合受付、外来、救急外来、放射線科、検査科などがあります。


続いて、2階に上がり、リハビリテーション室と透析室を見学していいただきました。

どちらも広く、これなら患者さんもゆったりするだろうとの感想を述べられました。

リハ科の職員は53名、手厚いリハビリが可能となりました。

 

透析も36床、最大140名の透析が出来るようになりました。

身体に優しい≪オンラインHDF装置≫を取り入れています。

 

手術室は、2階に、3室あります。
 

 
 
 
リハ室
 
透析室
   

3階に、研修室があります。約100人が入ることが出来ます。朝礼、各種委員会、医局会などはこの研修室で行っています。

職員食堂も3階にあります。病院の北側に位置し、約60席、窓が広く芥子山を望む景観は心が和みます。


4階、5階、6階は病室です。それぞれ、50床の設備で造られています。

病室は4人部屋が基本で、広く、カーテンで仕切られています。個室は5部屋のみです。

窓を広くとっていますので、南・東は児島湾、吉井川が、西は遠く岡山市内まで、北は芥子山・緑化公園などを望むことが出来ます。

 

各階に、デイルームが北側に、サロンが西側にあります。お見舞いの皆様にもゆっくりとしていただける空間です。患者様・お見舞いの方のエレベーターは2基、患者様・物品搬送用も2基あります。患者様搬送用は、看護詰所を通過し、機能的です。

 
 
ナースステーション
 
吉井川
 
芥子山
   

4階、5階はシャワー室、6階は機械浴室です。

機械浴室には、ミスト浴機械が置かれ、寝たままでミスト(水の霧)が掛り、身体をきれいにすることが出来ます。

 

 
 
ミスト浴
   

最後にヘリポートの360度眺望を楽しんでいただきました。


広く快適な箱モノは出来ましたが、内的充実が今後の課題です。

 

足らぬところの多い、若い病院ですが、小林理事長以下職員一丸となって、改善してまいりたいと思います。

 

   
院長のコラム 第47回

「第5回西大寺マラソン」


4月24日、行われました。

3kmと10kmの2コースです。今年は当院から33人が3kmコースにエントリーしました。

前日の雨があがり、晴れ間ものぞく良い天候にめぐまれました。

 

 

参加者は約3千人、年々盛んになってきています。

西大寺会陽が国の重要無形民俗文化財に指定されたこと、コースが平坦で気楽に走ることが出来ることなどが参加人数の増加につながったのでしょう。

 

 

開会式のあと、15分前にスタートラインにつき、出発を待ちます。山下衆議院議員の選手宣誓、ゲストの挨拶のあと、9時一斉にスタートしました。

 

 

今年は、例年になく走り込んでいましたので、安心して1km10分のペースで走り始めました。当院の参加者は若い人が多く、彼らはあっという間に先に行ってしまいました。初参加のFさん、走る前は「私は初めてで遅いので、院長先生についてゆきます」と言っていたのですが、彼女もあっと言う間に消えてしまいました。

 

 

1kmで約9分でした。少しずつペースを上げてゆきました。五福通りをすぎて、2kmで約16分、そのままのペースで進みました。ゴールまであと150mあたりで、前を歩いているF君を見つけました。彼が最後尾だろうと思いました。一緒にゴールが出来そうと思い、「F、がんばれ」と声を掛けましたら、F君走り始め、一気にゴールしてしまいました。結局私がビリになってしまいました。タイムは、想定より早く22分42秒でした。上出来です。

 

 

過去3年間で、一番楽に走ることが出来ました。

 

 

 

ゴール後、皆のタイムを聞いてびっくり。小橋先生 20分台、小林先生 21分台、F君と私 22分台で、あとの人達は全員18分以内(1km 6分のペース)で走っていました。最も速かったのは男性ではS君11分25秒、女性ではTさん13分12秒、びっくりポンです。

 

 

 

<追伸1> 「能ある鷹は爪を隠す」人が一杯いました。病院の将来は明るい

 
 
 
   
院長のコラム 第46回
平成28年4月1日

  「竣工式・竣工セレモニー・内覧会・ヘリコプター搬送訓練」


3月27日(日) 岡山西大寺病院の新病院竣工式・竣工セレモニー・内覧会が行われました。約1年2か月の工事の後、新病院が竣工しました。


9時から、竣工式がはじまりました。開式、修祓の儀、降神、献撰、祝詞奏上、清祓之儀、玉串奉奠、撤撰、昇神の儀と滞りなく神事が終了、病院のこれからの発展を祈り乾杯をしました。
 

 
 
   

竣工セレモニーは新病院玄関前で行われました。山下衆議院議員をはじめ、来賓の挨拶が続きます。

 

設計事務所、施行した安藤・間組に感謝状が手渡され、その後、20人による、テープカットが行われ新病院開院を祝いました。

 
 
   

 

13時から、一般の方々の内覧会の予定でしたが、13時前にもう道路前一杯の人に溢れ、開場を早めました。次から次へと、地域の皆様が、来場されます。エレベーターが2機ですので、安全を考えるとどうしても、一度に運ぶことのできる人数は20人ぐらいです。病院外に立ち待たれている人にお詫び・説明をしながら、入場をしていただきました。終了時間頃、最後の受付が終わり、ホッと致しました。


1600名余の皆様が内覧会に来られました。地域の皆様に信頼され安心、安全な医療を提供する決意を新たにしました。


15時からはヘリポートを使用した、救急搬送の訓練を行いました。当院から、倉敷中央病院に、腹部大動脈瘤破裂の患者を搬送するという、設定で行いました。緊急電話依頼を行うと、川崎医大からあっという間に(10分以内)ドクターヘリが飛来、ヘリポートに着陸しました。

患者をヘリに移乗させ、訓練は無事終了しました。

 

 

 
 
   

終礼を行い、すべての行事を無事終えることが出来ました。
 

 

さあ、これからは、病院に息を吹き込む作業が始まります!!!!!

   
院長のコラム 第45回
平成28年3月18日

 「野球少年の心」

 
「走りたい 気持ちがあるね。走ってみたい そのひと言」
 

これは、NHKテレビ番組≪スーパースター長嶋茂雄~野球人生のすべてを語る~≫で有働由美子アナウンサーがした最後の質問「79歳の今の夢は?」への答えです。私は、68歳、長嶋世代です。私たちの子供の頃、野球が最もポピュラーなスポーツでした。その最大のスターは、長嶋茂雄でした。当時、背番号3は野球少年の憧れでした。


番組を紹介します。


野球の始まりは、母が作ってくれたボールでした。野球で母を喜ばせたいという気持ちが長嶋さんの原点であったそうです。東京六大学通算ホームラン新記録8本の実績をもって、巨人に入団しました。契約金は、巨人が最も安かったそうです。新人開幕戦、国鉄金田投手との対戦、4打席すべて三振に打ち取られましたが、決して下を向きませんでした。打撃よりも、守備を重視し、ゴロの取り方に十数種類あり、スローイングも歌舞伎を参考にしたという話は、「魅せる長嶋」の真骨頂のように思いました。フライを取ることには、何の面白さもないと言った時には、思わず笑いました。天覧試合のさよならホームランをはじめ、その後の活躍は国民を勇気づけ、感動を与え続けました。

 

昭和49年、「わが巨人軍は、永遠に不滅です」の言葉を残して引退しました。巨人軍監督時代も、つらくとも、明るく爽やかな長嶋さんを貫いています。バットスイングは音が最も大切だと強調し、彼しか分からない感性かと思いました。

 

2013年には、松井秀樹と共に、国民栄誉賞を受賞しました。野球の努力は、決して人に見せるものではないという信念は、プロとして当然かなーと思いました。

 

しかし、脳梗塞に倒れた後、身体障害、言語障害の残る体で、病気に立ち向かう闘志、そしてリハビリテーションを中心にした闘病の姿を、同じ病の人達を励ますために見せるのだという強い意志に感銘をうけました。

 


最後の言葉を聴いた時、

 

≪あの、長嶋さんが「走りたい、走ってみたい」≫と・・・・・、

 

野球少年の心そのままだと思いました。

 

 

 

   
院長のコラム 第44回
平成28年2月27日 

「春の楽しみ

 

2月21日休日の散歩に出かけました。健康づくり財団病院の桜並木を見ながら、笹が瀬川の堤防に出ます。まだ、川面には鳥がいます(私には種類がわかりません)。

 

堤防を南下してゆくと、いつもなら見える樹木が完全になくなっていました。2月始め頃から始まった笹が瀬川堤防の補強(コンクリート堤防建築)、道路幅の拡大に伴う、道路法面の工事のためです。工事が始まったころは、樹木はまだ残っていました。どの程度の工事規模なのかなー、樹木が残ればよいがと心配していました。

 

私が名づけた第一庭園、第二庭園は完全になくなっています。春の楽しみ、染井吉野、源平桃、ぼけの花、雪柳、利休梅などの花たちに、もう会うことが出来なくなってしまいました。またその先のタンポポ草原も、仏の座の群生場所も削り取られてしまいました。この地域(私の家も含めて)は、笹が瀬川の増水で、毎年のように冠水していました。最近の災害の激しさを考えれば、地域安全のために必要なものだからと・・・・。

 

散歩の終わりごろ、西バイパスの高架の下で、ひばりが鳴いていました。初鳴きです。あれ!ひばりは麦畑で鳴くと言われるが、もう少し後ではないのかな?鶯の方が早いはずだが、それにしても、元気よく鳴くなーと思っているうちに心が少しずつ軽くなってきました。

 


少しずつ環境は変わります。また新しい楽しみを探したいと思います
 

   
院長のコラム 第43回
平成28年1月21日 

新病院見学」


岡山西大寺病院の新病院は、現在の病院から約500m南、岡山市東区金岡東町1-1-70に建設中です。2月末日に完成します。現在、建物は出来上がり、内装と外構の工事が行われています。新病院は7階建て、屋上にヘリポートを備え、耐震構造になっています。右手の塔は時計台です。


先日、小林理事長と見学に行きました。1階外来部門は、仕上げの時期で、13室の外来診察室が並びます。2階のリハビリテーション室、透析室は現在の2倍以上の広さがあり、これなら患者さんに、ゆったりと治療を受けていただけると思います。病室もゆったりと広くなります。
 

ヘリポートに立ちますと360度のパノラマです。国道2号線が西に延び、はるか岡山市中心部に向かっています。東に吉井川が、ゆったりと流れています。北の永安橋から、南の河口までゆるやかに流れてゆく姿は、心なごみ、落ち着きます。


「99里をもって、半ばとなす」工事の安全を祈りつつ、新病院を後にしました。
 

   
院長のコラム 第42回
平成28年1月8日 

「年の初めに」

 

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

327日に新病院竣工記念式、52日にオープンします。建物は新しくなりますが、人の内的充実をはかり、地域医療に貢献してまいりたいと思います。

 

今年もいつもと同じように、「絵に画いた餅」を楽しんでいます。

まず、一番は例年通り[節度ある酒]です。昨年は、「無意識会会長」になる(飲み過ぎて、ある時点から覚えていない情けない状態)回数は、めっきり減り改善方向にあります。今年も努力を続け、恩師 故田邊先生を見習い、2合を上限に(3合?)盃を置くことにします。休肝日は週2日、が目標です。

 

酒の目標は、なんとなく不安・自信なさげですが、肉体的・体力的な「絵に描いた餅」は少しばかり、自信があります。

 

まず、ずっとつづけている朝の散歩・勤行(トレーニングと読経)は継続します。朝トレーニングを中心に体を鍛えますが、昨年10月から病院内の階段のダッシュを始めました。毎朝8時全病棟を巡回しますが、その際、階段をダッシュするのです。朝のトレーニングは、ゆったりとしたエアロビックエクササイズですが、それだけではテニス・野球の鋭い運動ができないと思い、始めました。

 

もう一つ始めたのが、夜の散歩です。今までは、帰宅、風呂、食事・酒、就寝でしたが、休肝日は、帰宅、食事、散歩、風呂、就寝としました。やってみると、酒を飲むのと異なった快感があります。これは、続きそうです。

 

これらの運動+食事で、今年は体重を64~65kgの間で維持したいと思います(昨年は65~66kgが維持できました)。私は糖尿病家系ですので、体重管理は大変重要と考えています。現在のところ、メタボリック(糖尿病、高血圧、高脂血症)はありませんが、油断大敵です。

 

≪体、心、技≫で、病院業務にあたりたいと思います。

   
院長のコラム 第41回
平成27年12月17日 
 
 
「若い力」

 

 

1214日、新聞の朝刊は休刊でした。1215日の山陽新聞朝刊スポーツ欄は、2日分の結果が勢ぞろい、若者の活躍に胸が踊ります。そのキャッチコピーを、字の大きさの順で拾って行きますと、

 

 まずフィギュアスケート

羽生結弦(21歳) 

「羽生 また進化」「精度を磨き“ほぼ”完璧演技」「歴代最高更新 330.43点」

フィギュアGPファイナル初の3連覇です。余裕のある4回転ジャンプのきれいさに、感嘆するのみでした。

  

宮原知子(17歳)

 宮原2位 自己ベスト」

浜田コーチの「普通の子がここまでなれるのは練習のたまもの。人の3倍も4倍も練習する努力家」の言葉に、ぐっときました。彼女を見る目が変わりそうです。

  

次いで、バトミントン

 桃田賢斗(21歳)と奥原希望(20歳)

「男子 桃田 初V 奥原 女子」

バドミントンスーパーシリーズファイナルで日本人初の優勝です。

桃田選手が、四国三豊の出身と聴き、親近感を覚えました。

二人の、リオ・東京オリンピックの金メダルを期待しましょう。

  

活躍度で言えば、スキージャンプ女子 高梨沙羅(19)

 「高梨今季2勝目」 W杯ジャンプ

こちらは通算32勝、第一人者です。ソチの悔しさを、平昌で晴らしてほしいと願います。

 

スケート女子団体追い抜きの日本チーム

 [日本女子2連勝] W杯スピードスケート

強豪オランダを抑えての2連勝、ますますチームワークに磨きがかかり、強くなっています。こちらも、平昌オリンピック メダル期待です。

 

紙面は小さくなりますが、体操・堀内柊澄(関西高3年)リューキン杯体操 3位、白井健三(19歳)豊田国際競技会 跳馬・床運動 優勝、W杯モーグル 堀島行真(18歳)3位 富岡日向子(15歳) 6位 など、若さが紙面に溢れています。

 

 

<追伸>澤選手、引退です。偉大な選手の引退は寂しいことですが、拍手を送ります。

サッカーも若い人が続きますように。

  

 

 

 

 
院長のコラム 第40回
平成27年11月24日 
 
 
 「いま一度 ルーティン」

 

ルーティン(routine)を英和辞書でひきますと、「毎日のようにしていること。日常の仕事。日課」とあります。これを読んだとき私が思い起こした言葉は「勤行」でした。毎日時間を決めて仏前に読経や回向をすることです。仏教徒にとって、日課です。

 

山陽新聞11月16日(月)のメディカの記事のキャッチコピー<転倒は「命の黄信号」><五つの習慣で予防を>に目が留まりました。武藤芳照・日体大総合研究所長の講演の要旨でした。演題名は「転ばぬ先の杖と知恵~高齢者の転倒・骨折・寝たきりを防ぐために」です。先生は日本転倒予防学会理事長も務められています。転倒予防教室を日本で最初に始められ、よい成績を発表されて来ておられます。

  

 

内容を、要約し紹介します

 

転倒死は年間約7千人で、交通事故死の約6千人を上まっており、転倒死も社会全体で対策に取り組くめば、交通事故死と同じように、減らしていける。転倒の原因は三つある。年齢、病気(薬)と運動不足。薬が5種類以上だと転倒の危険が高まるとの報告がある。

過去1年間に転んだことのある人が次の1年に転ぶリスクは5倍という。

 

では転ばないための5つの習慣は、

   ①頑張らない運動で体を動かそう 

   ②日光浴をしようー骨粗鬆予防

   ③無理なく運動を続けよう 

   ④足の裏の感性を磨こうーぞうりを履こう

   ⑤もっとこまめに水を飲もう です。

 

運動に関係した①は、暮らしの中で体を動かすこと。掃除とか新聞を取ってくるとか、小さな積み重ねが大切。そして③はかかと立ちや、つま先立ち、腰掛けて、ももあげ。片足立ちのバランス訓練など、日々の小さな運動、その継続の大切さ強調されています。

 

要旨の最後に、<アリストテレスの「生きていることは動いていること」>を引用されています。

 

日課として小さな運動を取り入れ、継続すること、すなわち「ルーティン」の大切さを改めて確認した記事でした。

 

 

 

<追伸>「歯磨き」「腰みがき」「脚みがき」の運動を、さらに広めて行きたいと思います。

 

   
院長のコラム 第39回
平成27年11月2日
 
 
「ルーティン」
 
 

 今世間では、ラグビー五郎丸選手の、キック前の両手を合わせて祈るようなしぐさが話題になっています。ルーティンと言う言葉が、広く知れ渡りました。五郎丸選手の言をかりれば、ルーティンをすることで(今に集中し、一つずつ決め事を確実に行ってゆけば)雑念が無くなり、心の安定が得られ、よいパーフォマンスができるということでしょう。

 

 

 身近なルーティンは、交通事故防止標語(全日本交通安全協会 平成27年度)にも使われています。

「早めから つけるライトで 消える事故」--村岡孝司

「横断は いくつになっても 右左」--夫馬文雄

「ひとりでも まもるよやくそく みぎひだり」--長田侑里乃

 

 

 先日車運転のルーティンを怠ったため、自損事故を起こしました。阪神タイガースが今季の優勝が出来なくなった頃の出来事です。

 

 早朝、「おはようパーソナリティー 道上洋三です」を聞きながらの出勤です。630分から40分過ぎごろまで、道上さん・吉田さんの楽しい会話がラジオから流れています。話題は、阪神タイガースが優勝を逸したことでした。狂阪神フアンの道上さん、今シーズン阪神優勝に向けて、1勝につき500円硬貨を貯金箱に入れてゆきました。リスナーが優勝決定日を当てる企画でした。

道上さんの話が、今季の優勝が無くなったと言い始めた時は、丁度病院の駐車場に着き、リアカメラを見た直後でした。私のバック駐車のルーティンは、ます、リアカメラで後ろの死角を確認、身体を捻じり後ろを直視、左右のサイドミラーも見、ゆっくりバック、壁を直視しながら停車します。最後の微調整に、リアカメラを使います。

 

 

 「阪神は現在までに70勝だから、500円×70で35万円か」と道上さん、その瞬間、後ろを直視することを忘れ、バックを始めてしまいました。心の中で<道上さん違う、35万じゃねー、3万5千円じゃ>

 

 

ドーン、駐車場の壁の鉄材に衝突してしましました。一瞬のルーティンの欠落でした。

 

 

ラジオから「35万円でなくて、3万5千円か」と、道上さんの声が流れていました。

 

 

 

<追伸>道上さんに感謝。より一層、安全運転を心がけています
 
 
   
院長のコラム 第38回
平成27年10月21日 
 
 

「銀木犀」 

 

 10月14日夕方6時過ぎ、病院を出て駐車場に向かう途中、金木犀の匂いが強烈にします。あれ、どこに金木犀があるのかと思い、周り見ると白い花をつけた、手入れのゆきとどいた木が一本、お稲荷様の後ろにあります。毎日見ていた木です。

 

 

<白い花、しかし匂いは金木犀だが?>
 

 

通りかかったNさんに質問、
「Nさん、金木犀の匂いがするけど花が白い。なんの花じゃろー?」
「ほんと、金木犀の匂いですね。何でしょう」
 

そこに通りかかったSさん
「銀木犀でしょう」
 

 

<あ、そーか、これがカーさんの言っていた銀木犀か>と、家内との過日の会話を思い出しました。

 

 

 毎年、10月の初めごろのある日、突然散歩中に金木犀の匂いが、し始めます。秋を感じる時、楽しみな再会です。散歩から帰り、家内と金木犀の話をしている中で、家内が「庭に、金木犀を一本植えている。銀木犀も植えたかったんじゃけど、銀木犀の葉っぱは棘がある。もし孫が刺されてもいけんので、植えんかった」

 

 生れてはじめて銀木犀の花、木を観ました。銀木犀の花は白く、花の数は金木犀よりも少ないような気がします。匂いを嗅ぎ分けることは私にはできません。花の匂いは、屋外では沈丁花、梅、室内では百合の花ぐらいしか知りません。沈丁花、梅はほのかな香りの感じがします。百合は室内に活けると、強烈な匂いを遠くにまで発します。
 

 

 銀木犀がこれに加わり、毎年の楽しみが一つまた増えました。
 

 

 

 

   
院長のコラム 第37回
平成27年10月15日
 

「トマト銀行6時間リレーマラソン」

 


10月11日(日)トマト銀行6時間リレーマラソンに参加しました。総合運動公園内シティライトスタジアムを発着点に、スタジアムを外に出る約1.3kmのコースを6時間で何周できるかという、マラソンです。今年で第5回になります。私は昨年から参加しました。昨年は約7百数十チーム、今年は800チームの参加で、年々盛んになっています。チームは4~10人で構成され、一般、職場、中高校生、小学の4部門に分かれています。

 

 

 西大寺病院からは、透析室、リハビリ科、病院の3チームが参加しました。私たち病院チームを紹介しますと、井久保副院長、事務1人、リハ科4人、薬剤部2人、栄養部1人、そして私の10人です。
8時45分から準備運動が始まります。グランドの一画で行われるのですが、グランドに降り立ってメインスタンドを見ると、人が一杯で壮観です。今年は更にバックスタンドの2/3が一杯になっていて、参加人員の増えたのが一目でわかります。
 

 

 スタートは10時、9時45分バックストレッチに第一走者800人が集合します。陸上経験者、走力に自信のある人が前部、ゆっくりスタートの人が後部で待ちます。森脇健児さんが選手宣誓を行いました。「お金がたまったら、トマト銀行に貯金します」の一言に、思わず笑ってしまいました。カントダウン「・・・、5,4,3,2,1,0」ドーンで一斉にスタート「ウウォー」の大歓声です。わがチーム第一走者は井久保副院長です。学生時代軟式テニス部で鳴らしただけあって、堅実そして速い、スタートを見送る私たちの前を颯爽と走り過ぎて行きました。ここからは一人一周、ひたすらたすきリレーをしてゆきます。リレーマラソンの良いところは、各人が自分のペースで走れることです。一旦全チームが走り始めると、先頭も最下位も分かりません。無理をせず、ペースを守って走ります。とは言っても、走りの流れに入ってしまいますと、ついオーバーペースになる人がほとんどです。

 

 

 わがチーム、約1時間強で一回りするので、次の順番までゆっくり休むという感じはありません。私は、息が切れないように周りを楽しみながら、計5周走ることが出来ました。抜いたのは歩いている人3人のみでした。16時、全員無事に走り切りました。やり遂げた顔、顔、顔で記念撮影、スポーツの秋を満喫しました。記録は、50周、職場部門で402チーム中290位でした。

 

 

 

<追伸1>

 あれだけ抜かれっぱなしなのに290位、若い人の頑張りに感謝
 

 <追伸2>

 透析チームは、68周、13位。医療・病院関係では日赤チーム 8位に次ぐ好成績でした。

  

<追伸3>

 来年は、小林理事長はじめ、さらに多くのチームが参加を意気込んでいます。
 

   
院長のコラム 第36回
平成27年8月18日
 
 「田邊剛造先生を偲ぶ」
 
 

 恩師田辺先生が平成27年724日、逝去されました。91歳の大往生でした。

 

 私は、大学病院で昭和54年から教授退官まで、その後岡山労災病院長時代までの約20年間、田辺先生のもとで指導をして頂きました。医学だけでなく、人間として多くの事を学びました。

先生の専門分野は、小児股関節ですが、その見識は整形外科全般にわたっていました。凛とした人間哲学があり、その指導は厳しく、身が縮む思いを何度も経験しました。

しかし、患者さん、特に子供に対してはどこまでも温かく、優しさに溢れていました。

 

 

 その優しさの一つを紹介します。

田辺先生の業績は素晴らしいものですが、中でも先天性股関節脱臼の広範囲展開法(田辺式手術法)は、広く日本中に知られ、現在も数多くの病院で行われています。成績は世界でもトップです。先生が、幾多のつらい経験を経て開発された手術法でした。

股関節手術の際、皮膚に切開を加え、中を展開し、進入してゆきます。皮膚切開は、通常骨折などでは、縦切開(大腿の長軸に沿った切開)を用いますが、田辺法は横切開(大腿の長軸に直角の切開)を取り入れています。

 なぜ横切開なのですかの質問に対する答えは、

「縦切開にすれば、ブルーマをはいても見える。横切開にして、それも少し近位にして、ブルーマをはいたら見えん位置にしたんじゃ」

手術だけのことでなく、子供の学校での生活を考えられてのことでした。

 

 

 あらためて、田辺先生の指導を受け、教えをいただいた幸運に感謝しています。田辺先生が諭された「花川、平生を大事にせー」を心に留め置き、生きてゆきたいと思います。

 

   
院長のコラム 第35回
平成27年7月14日
 
 「那須先生 第41回日本骨折治療学会で発表」
 
 
 第41回日本骨折治療学会が、6月26日(金)、27日(土)奈良市で開催されました。この学会は、最初日本骨折研究会の名前で、始まりました。那須先生は、第5回の会長をなさっています。学会規模は、最大の日本整形外科学会学術集会に次ぐ大きな学会となっています。
 

発表は、先生のライフワークである、大腿骨頸部骨折の観血的手術の治療成績についてです。26日午後17時20分「エキスパートの手術手技」のセッションで、ビデオを使っての発表でした。固定器具に頼る最近の傾向に、警鐘を鳴らす立派な発表をなさいました。3つの質問にも的確に答えられました。改めて那須先生のすごさに感激しました。
 
 
さて、老人性大腿骨頸部骨折について簡単に説明いたします。老人性大腿骨頸部骨折は、股の付け根の骨折で、骨粗鬆を基盤に、転倒などの些細な外力で発生します。移動能力が奪われ、「寝たきり」の大きな原因の一つです。治療は、①観血的整復・固定術 ②人工関節・人工骨頭置換術の2つに分けられます。合併症(肺炎、褥瘡、認知症発症・増悪など)を考えると、手術が第一選択となり、「早期手術・早期離床(リハビリ)」が原則となります。手術治療の選択は、骨折がずれていない時は①を、ずれが大きい(転位型)時は、②が行われるのが、一般的です。ずれが大きいと、この骨折の宿命である大腿骨頭の壊死、圧潰(骨が崩れること)を生じてしまい、股関節痛のため歩行困難・歩行不能になります。
 
 
那須先生は、ずれの大きな骨折に対しても、整復・固定を行ってこられました。その成績は日本のトップクラスです。患者にとって手術侵襲は小さく、早期から歩行が可能です。この1年半の期間中、骨頭壊死(骨が崩れること)も数例発生していますが、救済手術が行われています。
 

<追伸> 
那須先生の技術を伝承してゆきたいと思います。
 
   
院長のコラム 第34回
平成27年6月16日
 
 「サッカー雑感」
 
 
皆さんもスポーツは好きと思います。自分の好きなスポーツを3つ挙げろと言われたら、私は野球、サッカー、テニスになります。最近サッカーの報道で、心が弾むことが重なりました。
 
 
サッカー女子ワールドカップが始まりました。岡山湯郷ベルから、宮間、福元の二人が出場しています。地元の選手がいると、応援にも力が入ります。まずスイスに勝ち、順調な滑り出しです。安藤選手の、怪我離脱は残念ですが、チームは前向きに進んでほしいと思います。
 

澤穂希選手、スイス戦出場で、国際試合200試合です。1年前は、ジャパン代表に招集されず、年齢による衰えで、そのまま引退するのかと思っていました。若い人と同じ、いやそれ以上のトレーニングを積み重ね、代表に復帰したのです。すごいことだと思います。若い人を押しのけ、背中で引っ張ってゆく姿は、神々しくもあります。優勝を花道にという結果を願っています。
 

一方、男子ハリルジャパンは、いよいよワールドカップロシア大会の予選が始まります。新しく監督になったハリルホジッチの言動、行動をみますと、より基本に忠実な考えが伝わってきます。能力を最大限、100%発揮するための、厳しいトレーニングを各人に課しています。ただ走るのではなく、その強度、持続性のレベルアップを要求しています。たとえば、宇佐美選手の変身には驚かされます。体脂肪にまで、こだわる健康管理、前髪を切った日常生活の規律性、集団生活での協調性を見ることができます。司令官のぶれない姿勢が頼もしく感じられます。和、輪を大切にする日本人の感性に合っているのかもしれません。ワールドカップへの期待大です。
 
 
<追伸>
スポーツは,観るのも愉しいですが、するのが一番です。運動後の冷たい一杯のビールはなによりです。
   
院長のコラム 第33回
平成27年5月28日
 
 「一番搾り 岡山づくり」
 

5月19日山陽新聞朝刊、≪雄町米で「一番搾り岡山づくり」本日発売 記念座談会≫の記事が、目に留まりました。米からビールを造る?麦からじゃーねえんか、と興味がわき一気に読みました。伊原木隆太岡山県知事、全農岡山県本部県本部長 白石康彦氏、岡山県酒造好適米協議会長 岩藤英彦氏、キリンビール(株)岡山工場醸造長 家村友也氏、4人の座談会です。
 

まず、一番搾りは私の好きなビールですが、考えてみると、「一番搾り」の意味が分かっていない。ウィキペディアによると、一番搾りとは、ビール業界の用語で、ビール製造時に、原料のもろみの自重だけで自然に流れだしてくる麦汁のこと。キリン一番搾り生ビールは、この一番搾り麦汁のみを使用しており、後述する二番搾り麦汁を使用していない。キリンビールによれば、これによって渋みが少なく、さっぱりとしたビールが製造できるという。
そうなんだ、それで美味しいんだと納得しました。
 

次に雄町米。岡山市雄町でとれる米で、日本酒を造る米としか思っていませんでしたが、これが由緒ある米でした。記事を紹介します。≪岡山県産雄町米は「山田錦」「五百万石」など多くの酒造好適米の祖先にあたる。1859年(安政6)年、現在の岡山市中区雄町の農家が偶然見つけ、選抜して栽培を始めたとされ、岡山県産が全国生産量の約95%を占めています。栽培の難しさなどから、各地の醸造家に“幻の酒米”と言われる貴重な雄町米。「一番搾り おかやまづくり」はその雄町米を惜しげもなくビールの醸造に使っています≫。
へー、そうだったのかと言う感じです。
 

商品名が「一番搾り 岡山づくり」と、キリンビールの商品名に初めて「岡山」の地名が入っています。「岡山」の名が入ると、嬉しく、愛着がわいてきます。
製法は記事からはわかりませんが、一番搾り製造過程の、ある段階で雄町米の風味?をビールに仕込むのかなーと思いました。一度製造工場に出かけ、見聞し、飲んでみたいと思います。
その前に、早速買い求め、味わいましょう。
 
 
<追伸1>
岡山づくりは微妙に甘く、飲みやすい感じです(飲み過ぎると、いつものことですが一緒です)
 
 
<追伸2>
キリンビール(株)から、お中元が届くかなー?
   
院長のコラム 第32回

平成27年5月7日
 
「西大寺マラソン」

 

 

4月26日<西大寺マラソンー西大寺観音院と五福通りを駆け抜ける>に参加しました。小林理事長、小橋副院長、菊池先生をはじめ、合わせて18人の職員が参加しました。昨年は8人でしたから、倍以上の参加者です。


小林理事長の目指すところ「西大寺の行事に参加」の実践です。コースは3kmと10kmの2種類です。どちらも西大寺緑化公園を発着点としています。3kmコースは昨年までは、永安橋を渡り、往復するコースでしたが、今年から変わりました。西大寺の商店街・五福通りを駆け抜けるコースで平坦となり、走りやすくなりました。3kmの制限時間は50分ですので、歩いてもなんとかなるという、気楽さがあります。


受け付けは7時半、今回に合わせて作ったユニホームを全員が着ています。ゲストのファジアーノ岡山のゴールキーパーが、準備運動の指導をしてくれました。


3kmのスタートは9時、速い、普通、遅い、の3群に分かれてスタートします。山下貴司先生の選手宣誓後、カウントダウン、いざ出発しました。緑化公園道路を出てすぐ右折、吉井川堤防に出ます。そこを左折し、川沿いを下り、観音院の方向に向かいます。1km過ぎあたりから、西大寺商店街通りに入るのですが、もう先頭集団は2kmを超え、復路を走っており、往路の私と対面、その速さに感服しました。商店街の通りに入り、「あれっ!西大寺に、昭和の匂いのするこんな通りがあったんか」と驚きました(後で聞くと、五福通りと言い、映画「三丁目の夕日」の撮影が行われたそうです)。2kmあたりに給水所が設けられ、干天に慈雨、ありがたいと思いました。あと1kmは、脚の調子も良くなり、楽に前に進みました。丸山君と一緒(丸山君が1秒早い)にゴールイン、21分24秒(昨年は22分33秒)でした。小林理事長は私より先にゴール、20分8秒でした。職員で一番速かったのは、リハの三浦さん、13分37秒です。走りきった爽快さは何よりのものです。


<追伸>
来年は、より多くの職員が参加するよう、働き掛けをしようと思います。
目標は高く、全員参加!

 

   
院長のコラム 第31回
平成27年4月10日
 
「新入職に思う」
 
4月1日、新入職者式が行われました。今年は、医師1人、看護師7人、総合職2人、介護福祉士1人、計11人の新入職者を迎えました。
小林理事長の話のあと、院長としての話をしました。話をしながら、昔から、相も変わらず同じ話をしているなーと思いました。
 
 
私は、大学病院が14年、岡山ろうさい病院が19年と勤務し、新人の研修医と関わる機会が多くありました。特に大学病院の時代には、毎年約15~20人の研修医が入局してきていましたので、柄にもなく「社会人心得?」を話していました。私の場合は、教室での授業形式ガイダンスよりも、アフターファイブで酒を交えて話す機会がほとんどでした。話す内容は、いつも同じです。そのいくつかを紹介しますと、

1. 大きな声で挨拶をすること。朝出勤したら、「おはようございます」、帰る時は「失礼します」と挨拶をすること
2. 時間を守ること。例えば、カンファレンスには5分前に着席しておくこと
酒はいくら飲んでもよい(自分へのエクスキューズ)が、朝のカンファレンスには這ってでも出てくること
3. 体調がおかしかったら、早くオーベン(屋根瓦の上司)に言うこと 
(4.早く慣れて、ずる休みができる場所をみつけること)
 
その当時、現在の研修制度ではなく、入局制度(例えば、岡山大学整形外科学教室に入る)でした。今の初期臨床制度のように密なスケジュールではなく、初めの3か月程は、学生の体から、社会人の体に変えるのが目的の時期と言う程度でした。外科医師は朝が早く(手術など)、そのために、早朝のスポーツ練習(学内レガッタのボート練習など)が取り入れられていました。4月の中旬以降(3週間ぐらい)になりますと、生活にも慣れ、緊張も取れてきて、カンファレンスで居眠りが出来るようになります。3か月程すると、仕事の要領を覚えてきて、ずる休みが出来るようになります。大体、その年の夏休みが終わる頃には、社会人の体になっていったように思います。親御さんから預かった大事な子供さんの健康を守ることが最も大事な使命だったように思います(それにしては、毎晩飲み、飲ませ過ぎましたが)。
 
 
今年の新入職者の皆さんも、健康に注意して、まず環境に慣れることから始め、次第に仕事を覚え、力を発揮してほしいと願っています。
 

<追伸>
もうアフターファイブの付き合いは、無理になりました
 
 
 
       日立養力センターの桜
   
院長のコラム 第30回
平成27年3月16日
 
「体内季節時計―春を待つ心」
 
3月11日5時、福と一緒にいつもの散歩に出かけました。いつもの広場につくと、水たまりが凍っています。吐く息は、白く長いのですが、風はなく寒くはありません。2月中は、皮手袋、軍手の2枚重ねでも冷たかった手が、軍手だけでも冷たくありませんでした。出勤の時、自動車の寒暖計を見ますと、-3度です。なんで、こんなに違った感じなのかなーと考えてみました。第一は、日の出が6時30分ごろとなり、トワイライトが、暖かさを醸し出しているのだと思いました。
 
 
体感温度をウィキペディアで調べてみました。
体感温度とは、人間が肌で感じる温度の感覚を、数値に表したものである。おおまかには気温であるが、実際には湿度や風速等によって影響されやすく、例えば風が強いときほど体感温度はさがる。したがって、気温をそれらの数値で補正する。ただし、体感温度に対する湿度や風速の影響は、服装・体格・日照などさまざまな要因により異なり、一定ではない。
 
 
書かれていることは、理解できます。風が強くなれば、冷たくなる、風の無い雪の日は暖かい(雪国の人しかわからない)、放射冷却のときは冷え込むなど、いろいろな気象の経験が言われています。が、まてよ、と思いました。服装、体格、性別などの人側の要因の中に体内時計があるのではないか、そう季節を待つ体内時計が動き始めたから、寒さをあまり感じなくなってきたのだと思い至りました。
いろいろな事柄が、私たちの五感を刺激します。「蕗の薹が顔をのぞけた」「福寿草が咲いた」「会陽が過ぎたら、備前平野に春が」「梅の開花前線の北上」、春の歌も聞こえてきます。「早春賦」「春」「うれしいひな祭り」、小鳥の声も次第に多く、また騒がしくなってきます。野球のオープン戦、サッカーの開幕の便りにも心が浮き立ってきます。
 
 
動物が冬眠から覚めるごとく、私たちの体には春を求める「体内季節時計」があるのだと思います。
 
 
<追伸>
私の心を浮き立たす言葉は、“球春”です。
   
院長のコラム 第29回
平成27年3月2日
 
「御津いきいき大学」
 
 2月27日(金)午前、御津いきいき大学で、講演をしました。御津公民館長S先生が、矢掛の同級生という縁で、お招きを受けました。2014年度最後の講演、第10回目の講演でした。前回9回までの、講演名を紹介しますと、2.悪徳商法に気を付けよう・交通安全のお話、3.岡山弁再発見、4.歴史講座、5.視察旅行 黒田官兵衛ゆかりの地、6.落語で笑って元気になろう、7.ちぎり絵で干支作り、8.なつかしい歌を歌おう、9.笑顔で笑顔をつなぐ~笑ヨガの体験、と広い範囲にわたっています。“しゃべる、動く、手を使う、笑う、歌う、”と、私が外来診療で「健康老年に必要なものは」と、患者さんに話していること、そのもので、嬉しくなりました。私の演題名は“病人にならないでください”です。会場は、御津公民館です。約90人の人が集まってくれていました。60歳以上が参加基準ですが、大変お元気な方ばかりです。講演では、整形外科外来で、最も多い主訴3つ、膝痛、腰痛・下肢痛、肩こりについて話ました。膝痛、肩こりについては、このコラムに書いたことを基盤に、できるだけ解りやすく、を目標に話しました。私の治療は、運動が主体ですので、招き猫体操、肩こり体操を実際にやっていただきました。腰痛については、「沢山の方が、腰が痛いと言って病院を受診されます。腰痛の原因は、椎間板ヘルニア、腰部脊柱管狭窄症、脊椎圧迫骨折など、原因がはっきりしているものは、約15%で、残り85%は原因がわかりません。私の実感では、90%いや、95%原因がわからないと思っています。いろいろ、教科書には書いてありますが、結局はわかりません。わからない、と言っても、不安にならないでください。病気レベルの症状、所見、検査異常がないのですから、安心してください。まず、鎮痛消炎剤と、軽い腰痛体操で様子をみると、良くなるのがほとんどです」。ここで、びっくりする情景を目にしました。私が「腰痛予防には、良い姿勢が大切です。大殿筋で股関節を伸展させ、良い姿勢をとりましょう。皆さん立ってください。さあやりましょう」と、皆さんに大殿筋収縮、股関節伸展、良い姿勢をとっていただきました。全員、良い姿勢で、感激、一言もありませんでした。御津いきいき大学の皆さんは、すごいと思いました。
 

 岡山西大寺病院に来て、2回目の講演ですが、楽しく話させていただきました。S先生をはじめ、御津いきいき大学の皆様、ありがとうございました。
 
   
院長のコラム 第28回
平成27年2月2日
 
「宇宙飛行士 向井千秋さん」

 榊原病院懇話会には、毎年、各界の著名人が招待され、楽しみな講演が続いています。今年は第26回で、宇宙飛行士、向井千秋さんの講演を聴きました。どんな人だろう、と興味津々、出かけました。
 
  
 講演は、宇宙飛行と宇宙医学についてでした。宇宙飛行の話では、懐かしい名前、言葉が出てきました。ガガーリン「地球は青かった」、テレシコワ「わたしはカモメ」、アポロ計画、スペースシャトル*****。ガガーリンが宇宙に飛び出したのが、1961年、約50数年の歴史です。宇宙滞在も次第に延長し現在は約半年滞在可能だそうです。火星への往復も、一般人の商業宇宙旅行も夢物語ではなくなってきていると感じました。向井さん自身は、宇宙飛行士は、軍人がなるものだと思っていたそうです。ところが、NASDA(現JAXA)が搭乗科学技術者として民間人を募集、毛利衛さん、土井隆雄さん、と向井さんが選定されました。毛利さんが1992年にエンデバーで最初に宇宙に行きました。向井さんは、1994年コロンビアに搭乗し、初飛行を経験しました。「怖くはないですか」の質問はよく受けたが、打ち上げの時は、期待の方が大きかったそうです。
 
 
 「宇宙医学は究極の予防医学」とのタイトルが何度も出ました。宇宙飛行士に特化した医学なのかと、ぼんやり思っていましたが違っていました。1.骨粗鬆症 2.筋力低下 3.多量の宇宙放射線の問題 4.精神・心理面の問題 を挙げ、その成果は、私たち地上の医学に役だって来ています。私は整形外科医ですので、1.骨粗鬆症、2.筋力低下の問題に興味が湧きました。骨粗鬆症は、地上の10倍の速度で進行し、筋力は2倍の速さで弱化するのだそうです。毎日、運動を2時間、後の22時間は、無重力の中での生活、地上でいえば寝たきりの生活ですから、当然なことなのでしょう。ビスフォスホネート(骨粗鬆治療薬)が、骨量減少を防止した結果を聴いて、骨粗鬆症の予防は、「1に運動、2に食事、3,4が無くて5が薬」と患者さんに言ってきましたが、これからは、「1に運動、2に食事、3に薬」かなーと思いました。
 
 
 一番印象に残ったのは、地球に帰還した時、重力があるので、立つことができる、という話の後、「重力、空気など平生感じないものへの感謝の念が出た」と言われたことです。
 
 
 姿勢よく、はきはきと話され、気持ちの良いすばらしい講演でした
 
   
院長のコラム 第27回
平成27年1月17日
 
「絵に描いた餅―1年の計は元旦にあり]
 
 
明けましておめでとうございます。皆様、今年もよろしくお願いします。
 
 
1月17日(土) 朝日新聞 Be に≪“今年こそ、実行したいことは?”⇛「~しなくちゃ」は、続かず・・・≫の記事が載っていました。RANKING 1.部屋の片付け・掃除 2.ダイエット 3.旅行 4.病気をしない・治す 5.節約 ・・・20番は「植木の手入れ」となっています。中でも、健康に関するものが8つと最多です。17番に禁酒・酒量減があり、思わず笑いました。
 
 
私は年頭に、「1年の計」ではなく、「絵に描いた餅」を画きます。「絵に描いた餅」の方が、できなくても気が楽で、また沢山夢想することができるからです。毎年、第一に来る餅は、「節度ある酒の飲み方」です。未だ成功していません。「禁煙」は長女ができた32歳の時、「90kgから70kgへの減量・ダイエット、糖尿病の克服」は末っ子が生まれた、42歳から、47歳の間に、成就し、継続しています。が、「酒の壁」はどうしても現在まで乗り越えることが出来ていません。
 
 
私が、本格的に酒を飲み始めたのは、大学時代からですが、以後、家内が「おとーさん、よー飲んだなー。家が一軒、十分建っとるよ」と言われるほど飲んできました。飲むと寝てしまい、沢山の人に、迷惑をかけてきました。「石屋の花川」「無意識会会長の花川」が酒の上で私に付いた冠名です。
「石屋の花川」とは:独身の頃、酔っ払って香川県知事公舎の前で、寝込んでしまい、気が付いたら高松北警察署に連れていかれていました。私の風体は、下はジーパン、上は下着でした。「名前は?」「花川志郎」。「生年月日は?」「昭和**年*月*日」。「住所は?」「*****」。「職業は?」「医者」。「いしや?石屋か。どこの石屋な? 庵治(高松市のとなりの町で、墓石で有名)か?」「いしや? 石屋じゃーねー、医者じゃ」「医者? おめーがかー?」「そうじゃ、医者じゃ」「おめーが医者?(全然信用していない)、わかった。それならどこの病院の医者?」「香川県立中央病院」、「香川県立中央病院(当時、中央病院は香川医科大学付属病院の役目を担っていた)!!!、おめーがかー?」「そう、香川県立中央病院整形外科」。・・?・・?・・? 担当の人が、病院に連絡、確認がとれ、病院守衛のFさんが、迎えに来てくださいました。
 
 
恩師T先生のように、2合と決めたらぴたっと盃を置くよう、「~しなくちゃー」ではなく、ぼちぼちがんばって行こうと思っています。
 
 
<追伸>
2合はちょっと少ない、4合にしようかなどと、まだ未練があるようです
 
   
院長のコラム 第26回
平成26年12月24日
 
「地鎮祭]
 
 
地鎮祭―いよいよ新病院建築のスタートです

12月22日(月)午前10時半、岡山市東区金岡東町(野口商店跡地)、岡山西大寺病院新病院の地鎮祭が行われました。晴天に恵まれました。小林理事長、小林副理事長はじめ、病院スタッフ、地区の皆様、安藤・間 株式会社、安井設計はじめ工事関係者が出席されました。岡山ろうさい病院の地鎮祭にも出ましたが、やはり緊張し、身の引き締まる思いがしました。
 
 
新病院は、現在の病院の南500m、緑地公園の南に位置し、岡山東区役所・消防署が近くにあります。病院敷地、駐車場、建坪は、現在の約2倍になる予定です。ヘリポートを併設し、災害・緊急時の備えとします。平成28年3月竣工予定です。
 
 
新病院建設の嬉しさは当然あります。浮かれることなく、笑顔の挨拶をモットーに、職員一同心を一つにして、堅実に前進してゆきたいと思います。
 
 
 
       平成28年3月完成予定
   
院長のコラム 第25回
平成26年12月1日
 
「肩のこらない、肩こりの話]
 

肩こり、首筋のこりを経験した人は多いと思います。
肩こりは、ある教科書では、「肩こりとは頸椎から肩甲骨にかけての緊張感や重苦しい“張る”ような感じをいい、診断名ではなく症状名の一つである。そのためいくつかの原因があげられる(今日の整形外科治療指針 医学書院)」と記述されています。首の神経によるもの、コンピューター作業などによって手と眼を使う長時間の精神的緊張が続くこと、そして内臓疾患でも起こります。
首の後ろ(項部)から、肩にかけての肩こり(いわゆる一般的な肩こり)で、病院を受診される人はほとんどありません。肩こりとわかっておられるからだと思います。
「背中が痛い」と言われて、整形外科を受診される患者さんが意外と多いと思います。背中が痛いと、心臓の病気(狭心症、心筋梗塞)、肺の病気などを、心配されるようです。肩甲骨周囲、とりわけ肩甲骨内側部の痛みを訴える人が、多いのに驚きます。
首の神経が関与していないか、内臓の疾患が無いか、診察を進めてゆきます。そして、肩甲骨周囲の筋肉痛の診断がつきます。治療は、鎮痛消炎剤、筋の緊張を和らげる薬などの薬物療法、ブロック注射、温熱療法、運動療法、日常生活指導などが行われます。
 
 
原因がいずれであれ、この肩こりは首・肩甲骨周囲の筋緊張が高まった状態です。筋血流が悪く、血液中に老廃物の蓄積が起きます。マッサージはこの血液、体液の鬱滞を改善するために、効果があります。上手な、マッサージ師さんにしてもらうと、痛みがすーっととれるのは、血流が改善し、きれいな血液に入れ替わるからです。しかし、常にマッサージを受けることは不可能ですので、自分で肩甲骨周囲筋のストレッチ、筋肉収縮訓練をすることが、大切になってきます。肩こりの運動療法はたくさんありますが、私が、外来で 勧めている方法を紹介します。
まず、肩甲骨を寄せる運動です(図1)。次に肩甲骨をできるだけ離す運動をします(図2)。最後に頭の後ろで手を組み姿勢を正して、再び肩甲骨を寄せます(図3)。時間は3~5秒、3回を1セットとし、朝、昼、夜と行います(秒、セット数は各自で決めてください)。
このあと、首回し、肩回しをします。
首、肩を毎日、手入れすることが大切です。
 

<追伸>スマホで前かがみの、悪い姿勢の時間が長いと、肩こりがおきます。
   
図1
土俵入りのように腕をあげ、胸を張り、肩甲骨を寄せます
 
図2
両手を組み、前にまっすぐ、水平に突き出します。肩甲骨が離れます
 
図3
頭の後ろで、両手を組み、胸を張り、肩甲骨を寄せます。この時、くびの後ろ(項部)の筋肉を意識して、ほんの少し力を入れます。
   
院長のコラム 第24回
平成26年10月30日
 
「稲刈り]

秋の風物詩といえば、黄金色の稲田、稲刈り、五穀豊穣・感謝の秋祭りがあげられます。
 
 
10月中旬、朝の散歩の途中、稲刈りの終わった田んぼから、草の匂いを強力に感じました。田んぼに、はざ掛けはありません。匂いは、草を刈った後の匂いそのものです。昔、稲刈りの後の田んぼがこんなに匂っていたかなー、との疑問がわきました。
 
 
子供の頃の稲刈りを思い出してみます。稲刈りは、人手がかかり、家族総出、親戚も一緒になって行われていました。小学、中学校に稲刈り休み(農繁休暇、なつかしい言葉です)があり、子供も稲刈りの手伝いに出ました。当時、刈り入れ器具は鎌です。歯がのこぎり状のものもありました。子供の手には少し余る径の稲の束を、一株一株刈り込んでゆきます。刈り取った稲は、適切な太さで束ねられ、二股に分けられ、はざ(稲を干すために、木の杭や竹で組んだもの)に掛け、自然・天日の中で乾燥され、後日、脱穀されます。稲を刈り取った時に、匂いを意識した記憶はありませんでした。
 
 
 
         はざ掛け
   

 

 

 

先日、外来での患者さんとの会話


「最近、散歩をしていると、田んぼが、ぼっけー匂うんじゃけど?昔、稲刈りの後の田んぼが、こんなに匂っとたかなー?」
患者さん「先生、最近は機械で一気に刈り取り、脱穀する。その時に、稲わらを切ったものが田んぼに残るから、匂うんじゃ」

 

 

その後、田んぼをよく見ると、脱穀後の細断された稲わらが、稲田を薄く覆っています。コンバインで稲を刈り取り、一気に脱穀してしまい、切られ、残された稲わらが、この匂いを発しているのだとわかりました。

 

 

コンバインはだいぶ昔から、使われていますが、稲わらの強い匂いは、今年初めて気づきました。

 

 

<追伸1>
コンバイン=稲刈りの機械と思っていましたが、稲刈り+脱穀・選別=combined(コンバイン:組み合わせた)の英語に由来していると、知りました。
 

<追伸2>
稲刈り、秋祭りの次は、紅葉狩りです

 
 
       稲刈り後の田んぼ
   
院長のコラム 第23回
平成26年10月2日
 
「新幹線開業50周年」
 

 10月1日朝、朝日新聞 天声人語を読みました。≪「汽笛一声新橋を・・・」で始まる「鉄道唱歌」はよく知られている≫、で始まります。・・・・。≪(新幹線に対して)ありがとうは尽きないが、競うような速さよりむしろ確かな安全で応え続けてほしい。時間よりも「無事は宝なり」である。≫、と結ばれています。
 
 
故 島 秀雄さんを思い出しました。私が、島さんの事を知ったのは、1998年週刊新潮 ≪墓碑銘 新幹線の生みの親  島秀雄さんの「技術者精神」≫の記事です。島さんは戦前から各種車両を手掛けてきた国鉄の設計技師でした。
 
 
記事を紹介(要約)します。
昭和39年10月1日、東海道新幹線開業の式典に、東海道新幹線の生みの親・島さんの姿はありませんでした。その前年に国鉄を辞めていました。「世界の三馬鹿、万里長城、戦艦大和、新幹線」と言われ、国鉄内でも「空想集団」と新幹線に反対意見の強い中、新幹線開業に向かって組織をリードしてゆきました。
10月1日、数キロ向こうを走る新幹線を自宅の窓から眺めて、「ほら、走ったじゃないか」と、奥様に言われたそうです。
 
 
島さんは十ある技術の八で作ったと述べている。
 
 
「新幹線を技術の実験場に絶対するな、使わなくてもすむ技術は使うな、とおっしゃっていた。わざわざ旧式の技術を使った箇所もあるくらいで、安全、保守点検のため経験豊富な技術を使った」(入江)。
「最近の新幹線は気にいらなかったようですね。二階建てや流線型にしてスピードをだす。オレだってそんなのやろうと思えばできる。でもそれよりも安全確実で、しかも安く走るものを作った。また今はどんどん田舎まで延び、ミニ新幹線と称してカーブも踏切もある場所を行く。せっかく事故がないよう踏切をなくしたのにと、それも不満だった」(次男 隆さん)。
「父は全体がバランスよく働き、どこか一部が先に壊れるのは駄目だと考えていた。だからどこかが悪くなったのではなく、だんだん食べられなくなり体全体が衰弱していったのは、本当に父らしい。大往生です」(四男 直さん)。
 
 
新幹線の死亡事故、50年間ゼロ、あの世で島さん、喜ばれていると思う。
 
 
「安心、安全な医療の実践」を改めて思います。
 
   
院長のコラム 第22回

平成26年9月4日

 

「テッポウムシ退治ー外科的治療」

   

皆さん!この写真、何をしているように見えますか? 写真は私ですが、庭で昼寝をしているのではありません。テッポウムシを退治するために、もみじの樹にノミで開窓術をしている所です

 

 

8月初旬、我が家の会話
「お父さん、またテッポウムシがもみじに来とる」 
「わかった、またやっとく」

 

 

テッポウムシはカミキリムシの幼虫で、樹木を枯木にしてしまう、恐ろしい虫です。

 

 

数年前、我が家のリンゴの樹にテッポウムシが入りました。友人K君に相談しました。彼は、内科医師ですが、多能な人で、園芸もプロです。
「花川、Xという薬がある。それを使ってみー。しかし、なかなか、効かん。儂も、2本リンゴの樹をやられた」
プロのK先生が処置しても、やられるのに、素人の私では、と思いつつXを、茶褐色のおがくずが出ている穴から、注入して、経過をみました。明朝、やはりおがくずがでています。また注入する。次の朝、見る、やはりおがくずがでていて、Xの効果なし。このままでは、家内の大事なリンゴの樹が枯れてしまいます。その時です。「まてよ、薬が虫まで届かないのなら、開窓し、直接テッポウムシを退治してやればよい」と閃きました。

 

 

骨髄炎の治療について、お話しします。骨髄炎は、骨に細菌が侵入し感染を起こします。高熱、局所の熱感、疼痛が強く、抗生剤が投与(内科的治療)されます。これだけでは不十分の症例も多く、皮膚を切開し、膿の溜まっている場所の骨に窓をあけ(開窓術)そこから、膿を掻き出し、汚染骨・腐骨を取り除き、正常な骨が露出するまで摘除するのです。こうすることで、汚染の拡大を防ぎ、抗生剤の効果を高め、治癒を促進するのです(外科的治療)。

 

 

決断するとすぐ、ホームセンターに行き、ノミを購入しました。ノミ刃 3種類セットを買い求めました。おがくずの出ている穴をたよりに、ノミで削り開窓して行き、深部に達します。直接テッポウムシを見たことはありませんが、おがくずのあるところはすべて、摘除します。その後に、鉄砲虫がいるぞと思われるところを錐でさしまくり、最後に殺虫剤をたっぷり吹きかけます。この方法で、今までリンゴの樹3回、もみじの樹3回 すべて、テッポウムシを駆除することに成功しました。

 
 
     発見時(以前の場所の奥)
 
     開窓・処置後(駆除成功)
   

<追伸1>

先日のNHK朝のニュース。ミカンの樹にテッポウムシがついて、枯れるので、カミキリムシに一匹30円の賞金を懸け、子供達が虫をとる話が放送されていました。
私の方法も一考の余地ありと思いました。

 

 

<追伸2>

家内のつぶやき「おとーさん、嬉しそうにノミを使うねー」
 (私のつぶやき:私は、手術をしなくなった整形外科医です)

 
   
院長のコラム 第21回
平成26年8月18日
 
「歓迎 八代亜紀さん」
 

 [西大寺健康ふれあい祭り 2014]が先日7月26日17時から、日立養力センターで行われました。今年のゲストは八代亜紀(あえて、よびすてに)でした。
 

「えーっ!!! 八代亜紀が、来る?」と、すべての人が思います。そう、あの演歌の女王・八代亜紀が、来岡、トークショウ―を行い、唄ったのです。
 

私は、昭和の演歌は、何でも好きですが、中でも八代亜紀の歌はとりわけ大好きです。
 

Wikipediaで調べてみますと、全国のすべての刑務所慰問をされたとあります。また、絵画は趣味の領域ではなく、本物であることは、「ル・サロン展」に5回連続入選、同会の正会員であることから、広く知られています。芸能界の華やかな面とは違う顔もあるのかと興味がありました。
 

さてどんな人か、例によって記念撮影の場が初対面です。控室から出た瞬間から、“人懐っこい笑顔”でした。姿勢は良く、自分の方から挨拶をし、握手を求める姿勢です。大スターでありながら、この親しみ易さは、生まれつきのものだろう思います。
 

小林理事長・近藤看護部長とのトークショで会が始まりました。お母さんの介護をされているそうで、「最近母は私がわからなくなってきているのが、寂しい」と話されました。カラオケで歌をうまく唄うには、どうしたらよいかの質問には、「伴奏よりも少し、遅れ気味に唄うと上手に聞こえます」「自分の声を大切にしてください。それぞれの声で歌うことに、個性があるのです」と答えていました。
 

さて、歌です。4曲「なみだ恋」「雨の慕情」「舟唄」「もう一度逢いたい」、至福の時です。時に彼女独特の射抜くような豹の眼になった時は、ゾクゾクっとしました。この距離で、あの八代亜紀が聴けるなんて、・・・。人懐っこい、そして笑顔、笑顔の八代亜紀さんでした。
 

<追伸> 「愛の終着駅」を聴きたかったなー
 
 
 
   
院長のコラム 第20回

平成26年8月4日

 

 

「土用干し」


皆さんは、夏の風物詩というと、何を思い浮かべますか。私のある一日の朝の目覚め・散歩から夜までを思いますと、セミしぐれ、朝顔、散歩・トレーニング後の汗、子供たちのラジオ体操集合、生あったかい水道水、きき過ぎの病院の冷房、スイカ、かき氷、夕なぎ、蚊取り線香の匂い、花火の音、冷えたビールの喉ごしの良さ、扇風機・・・。

 

 

私が楽しみにしている夏の風物詩の一つが「土用干し」です。インターネットで検索しますと、「土用干し」で3つ出てきます。梅の土用干し、着るものの土用干し、そして稲田の土用干しです。私は田舎の出身ですが、この「稲田の土用干し」は知りませんでした。10年ほど前、土用の頃の朝、いつものように散歩に出かけました。ずっと水がはってある田に水がなく、地面が乾いてきていました。「あれ、水を入れるのを、怠ったのか?忘れたのか?そんなことはないだろー。水をやらんと枯れるが・・・」などと思い、翌日も田んぼを見ると、さらに地面が乾き、割れてきていました。不思議に思い、外来診療の時、農家の患者さんに、その疑問を問いました。「先生、ありゃー土用干し言うて、わざとやっとんじゃー。水を切ることで、稲の根がよく張り、稲が強くなり、次に水をやるとさらに成長するんじゃ。台風が来ても倒れんようになる。それに地面が固くなり、稲刈り機の車が沈まず、動きやすうなる」と教えてくれました。稲は、酷暑の時に鍛えられ、強くなるのだと思い、そして先人の知恵に感心しました。

 

 

それからは、土用干しの風景を見るのが楽しみになりました。暑い夏こそ、身体を鍛えて頑張ろうと、思うようになりました。

 

 

<追伸> 私の夏風物詩一番は、夏の甲子園です。

 

雲はわき  光あふれて 天高く純白の球 今日ぞ とぶ

 

若人よ いざ まなじりは 歓呼にこたえ いさぎよし

 

ほほえむ希望 ああ 栄冠は君に輝く
 

 

さあ、高校野球ドラマを楽しみましょう
 

 
 
 
土用干しの水田
地面が乾き、ひび割れています
   
院長のコラム 第19回
平成26年7月4日
 
「寝たきり老人にならないために」
 

6月27日(金)、28日(土)、第40回日本骨折治療学会で参加しました。今回は熊本市で行われました。岡山から新幹線で2時間とちょっとで着きます。便利になりました。
 
 
学会では、私はいつも大腿骨頸部骨折の、口演、講演を主に聴きます。その訳は、この骨折が昔から“Unsolved fracture(未解決の骨折)”と言われ、今なお、全整形外科医が、より良い治療法のために努力しているからです。この骨折の問題点(固定法、固定材料、リハビリテーションなど)を聴けば現在の骨折治療レベルが見えます。この骨折の未解決な事とは、一つは骨折が癒合しても、骨が死に(壊死)、壊れて変形性股関節症になる症例が、数は少ないでが、あることです。もう一つは骨折がつかないこと(癒合不全)が稀にあることです。
 
 
大腿骨頸部骨折は、ご存知のように、股の付け根の骨折で、高齢者によく見られます。高齢者の骨粗鬆症を基盤にし、転倒などのささいな外力で起きます。年間約15万人の人が罹患しています。
骨折が起きますと、歩行不能になり、その移動能力はゼロで、寝たきり老人の原因となります。早期手術(金属固定および人工骨頭置換)、早期離床が治療の原則で、リハビリテーションを積極的に行います。金属固定の固定力も飛躍的に向上しています。
現在では、寝たきりの危険性は少なくなってきていますが、寝たきり老人は私たちが努力しても、10%前後出てしまいます。
いろいろな要因が、寝たきりになる原因に関与しますが、全員に共通するのは認知症です。ひどい認知症ですと、理学療法士の指示に従えず、リハビリテーションを続行することが困難になってくるからです。認知症は、骨折で悪化することが多く、日頃からの頭の手入れが大切と思います。手入れ方法は、最近薬の効果はじめ沢山の方法が報告されていますが、やはり毎日の運動、食事・食材、読書、手の仕事(写経など)などが基本です。
 

<追伸>
カラオケも認知症予防の大きな力です。さあ、今夜も歌いまくりましょう。誤嚥防止にもなります。
 
   
院長のコラム 第18回
平成26年6月5日
 
「パワースポット」
 

ありがたや  満月西に  陽は東
 

この句は、5月休日早朝の散歩の時にできた句です。仕事の悩みがあり、なんとなく体がだるく気が重いまま、散歩を始めました。いつものように、トレーニングをしながら、私のパワースポットの桜並木にさしかかりました。その時、夜明け前の西の空に、くっきりとした満月が光っていました。“真如の月とはこれだ。なんときれーな!”、思わず手を合わせました。悩みが、すーっとどこかに消えてしまいました。“そうだ、もう少ししたら日の出だ。見に行こう”と日の出が見える場所(第2のパワースポット)に移動しました。しばらくして輝く太陽が東の空に現れてきました。ここでも一心に手を合わせ、“ありがたい”と祈りました。
 

日本全国、各地に有名なパワースポットがあります。最近、若い人も、パワースポットを求めて旅するようです。伊勢神宮、出雲大社、恐山、高千穂、戸隠神社・・・、吉備津神社、最上稲荷、阿智神社、西大寺観音院、餘慶寺(隠れたパワースポットです)・・・・。
しかし、自分の住んでいる地域にもパワースポットはあるものです。私のパワースポットは他に、西バイパス橋からの日の出ポイント、樹木が茂り、花の咲く用水路、水路堰の水音の聞こえる場所などがあります。水音は目を閉じて聞きますと、渓谷の瀬の音に似て、心静かになります。日の出の陽の光を浴びますと、心は温かくなります。
 

<追伸> 皆さんも、自分自身のパワースポットを身近に見つけてはいかがですか。自分で決めればよいことですから。
 
 
桜並木のパワースポット
 
用水路
   
院長のコラム 第17回
平成26年5月7日
 
「ロゴマークができました」
 
 
今回山陽新聞に「高齢者の変形性膝関節症の治療」の私の記事が載りました。長年、変形性膝関節症や、起立性リンパ性浮腫の治療に「招き猫体操」を取り入れてきましたが、そのロゴマークができました。当院のMさんがデザインしてくれました。私のイメージにぴったしで、大変うれしく思っています。今後外来を含めて、さまざまなところで活用してゆきたいと思います。
 

高齢者の変形性膝関節症の治療
重要な運動療法―大腿四頭筋訓練 上肢の動きを加えた「招き猫体操」
「診断は変形性膝関節症です。病気ではありません、老化です。あなたの年齢の人は、たいていの人が膝痛を持っています。痛みと上手に付き合ってください。治療法は大きく3つあります。痛み止めなどの薬、ヒアルロン酸などの注射、そして運動です。それぞれ効果がありますが、基本は運動です。あなたは痛みが軽く、レントゲンでも軟骨の摩耗は軽度なので、まず運動療法から始めましょう。今から、運動<招き猫体操>を教えます。招き猫体操を、右脚、左脚、3秒10回ずつ、朝、昼、夜、計3回行ってください。右脚30回、左脚30回です。運動は今から、今日からです。まず、これ以上太らないように、食事に注意してください。元気なうちに、軽い運動習慣を身に着けてください。悪くなってからでは、大変です。散歩もしてください。運動を続けて、80歳の峠を、歩いて、元気に越えましょう」
これは、先日、外来診察で、68歳、体重70㌔、「最近、長く座った後、立ち上がりかけたときに左膝が痛い。歩き始めると、しばらくして症状がとれる」との訴えで、来院された変形性膝関節症の女性患者さんに、私が話した言葉です。
 

高齢者の変形性膝関節症の多くは、はっきりとした原因がなく軟骨の摩耗、筋肉の衰えや肥満などの多くの要因で発症します。症状は、この患者さんのように、動き始めに、膝に痛み・違和感を覚える軽症の人から、次第に痛み時間が長く、強くなり、日常生活が障害される重症の人まであります。治療は、重症になると、人工関節手術が考慮されます。最近人工膝関節手術の成績が良く、適応は拡大傾向にあります。痛みと付き合って、日常が過ごせる人は保存的治療となります。
保存的治療では、1.非薬物療法[a.運動療法、b.装具療法(杖(つえ)、歩行器、足底板 など)、c.物理療法(温熱など)]、 2.薬物療法(鎮痛消炎剤、ヒアルロン酸なそ)を症状に合わせて行います。
 

非薬物療法に対する、日本整形外科学会の推奨度A(行うことを強く推奨する)を要約してみます(変形性膝関節症診療ガイドライン 2012年 より引用)。

1. 定期的な有酸素運動、筋力強化訓練および関節可動域訓練を実施し、かつこれらの継続を奨励する。
2. 適正な体重にし、維持する
3. 歩行補装具(杖、歩行器)は、疼痛(とうつう)を低減する。
 
変形性膝関節症の治療ですが、第一番そして、重要なのは、運動療法です。その中心は、大腿四頭筋訓練です。大腿(だいたい)四頭筋訓練は、太ももの前の筋肉を鍛える方法です。膝を力いっぱい伸ばし、その位置を数秒間保持するのが、一般的です(詳しくは、「ロコモチャレンジ。・ロコトレ」のサイトを参照してください。岡山西大寺病院ホームページ 院長コラム 第3回に取り上げています)。軽症の場合、この運動でほぼ痛みがとれます。
*運動療法は、痛みをみながら、主治医と相談し、調整してください。
 

私は、大腿四頭筋訓練に上肢の動きを加えた、「招き猫体操」を日常の治療に取り入れています(院長コラム 第9回を参照ください)
なぜ、手と組み合わせて?と思われるでしょう。上肢と連動することで、「歩く感覚」、「体幹が安定し、力が入りやすい」という、利点があります。足首を反らすこと(背屈)で下腿・足の静脈・体液の流れを良くし、下腿・足のむくみ(夕方になると靴下が食い込む)予防・治療にもなります。
下肢の機能を強化・保つことを、誰も助けてはくれません。行うのはあなたです。今日から、今から、元気な時から、始めてください。無理をせず、毎日、毎日を勝ち組になってください・
 
 
   
院長のコラム 第16回
平成26年4月8日

「私の花回廊」
 
 私の休日の散歩は、平日とは異なり、夜明け後に出かけ、笹が瀬川堤防を中心に約2.5kmの距離です。
 
 散歩を始めますと、水門があり、先週から水量が増え、堰の水音(みずおと)が心地よく聞こえます。水音は心を落ち着かせてくれます。堰から笹が瀬川までの用水路の両側に10数本の桜が植えられ、いま満開~散り初めです。そこから笹が瀬川堤防に出ます。この地点で、笹が瀬川に足守川が合流しますから一気に視界が広がります。鶯が春を告げる場所です。
 
 北から南へ堤防を行きますと、堤防の法面に、いろいろな花を楽しむことが出来ます。しばらくして、第一の堤防庭園(私が勝手に名づけています)があります。そこでは、そめい吉野と源平咲きの花桃をみることができます。花桃は2本あり、毎年その咲ぶりを見ると心が浮き立ちます。今年も見ることができた、などと感慨にふけります。
 
 第2の堤防庭園は、第一と同じように樹木が主ですが、その種類が異なります。今はボケの花、椿、雪柳などですが、私の楽しみは利久梅の花です。バラ科の白い花で、10数年前に初めて見た時、凛とした美しさに見とれてしまいました。今つぼみの状態で、今週末あたりがみごろでしょう。どちらも名前がわからず、散歩で出会うご夫婦が教えてくれました。
 
 毎年、いつもの時に、いつもの場所で咲く花に出会うのは心弾むものです。
 
   

<追伸>

ぜひ、笹が瀬川堤防の花たちをご鑑賞ください。

 

   
院長のコラム 第15回
平成26年3月10日
 
「足が痛い、脚がしびれる」
 
この写真は、66歳、私の足です。外来のあと、午後五時ごろの脚です。靴下のゴムがくいこみ、へこみができています。軽いむくみの状態です。「起立性のむくみ」と言います。長時間、心臓より下に下肢がある状態(立位・座位の状態)で生じます。
 
 
この起立性のむくみは、若い人でも起こりますが、老人には必発の症状です。「脚のむくみ」と聞くと、心臓、腎臓の病気が想像されます。この場合は、全身のむくみが来ます。昔、足がむくむというと、脚気(古いなー)を想像しましたが、今は外来でみることはありません。老人には、よくこのむくみが起こりますが、整形外科の外来を受診される老人の中に、“足のむくみ”を主訴に来院される人はほとんどありません。
「右足がじんじんする」、「膝の下の外がわのあたりが、締め付けられるように痛い」、「ふくらはぎが痛い」、「足の裏がぼってりとして、しびれる」・・・・・など、坐骨神経が関与したような訴えで、受診されることがほとんどです。脊柱管狭窄症、腰部椎間板ヘルニアと診断される人もいますが、私の老人外来では、起立性のむくみの症状の方が多いように思います。
 
 
老人の生活を思い描いてみてください。動く時間が短く、座ってテレビを見ている時間が長くなります。足は動かさず、心臓よりも常に低い位置にあります。次第に足がむくみ、上に述べたような症状が出てきます。正座をした後、足がしびれ、痛い経験をされたことがあると思いますが、それもむくみの症状の一つです。
 
 
この老人の足のむくみを取り・予防する方法は、むくんだ脚の拳上、マッサージ、弾性ストッキングの着用などいろいろな方法があります。私が最も大切だと思う方法は運動です。その一つがカーフパンピングという方法です。英語でカーフとはふくらはぎのこと、パンピンク(pumping)とはポンプ作用のことをいいます。ふくらはぎの筋肉を収縮させることです。実際には足関節・足指を背屈・底屈(屈伸)します。背屈をして3秒間(時間は自分で決めてください)、底屈して3秒間、これを右左10回ずつ、まず朝、昼、夜と計3セットから始めてみてください。脚が軽くなるのを実感されると思います。今から、元気なうちから始めてください。
 
 
<追伸>
招き猫体操は、むくみに効果てきめんです
 
   
院長のコラム 第14回
平成26年2月10日

「気持ちを楽にする言葉」
 
 
渡邊和子の随筆“雑用などない”(月刊雑誌 文藝春秋)の中で、マザー・テレサのことが、以下のごとく書いてあります。
“マザー・テレサは、炊き出しをするシスターたちに必ず三つのことを実行するように諭しておられた。パンとスープボウルを渡す時には、相手の目を見て、ほほえむこと、手に触れて、ぬくもりを伝えること、そして短い言葉がけをするという三つであった”。
これは、医療現場でも大切なことで、折に触れて職員に話していました。自分としては、患者さんに丁寧、親切に接し、話していると、思っていました。
 
 
過日、自損事故を起こしました。
“K ちゃん、車の左の底をこすって、傷つけてしまった。”
夕方米屋さんの駐車場から左折して出ようとした時、車道・歩道の境界ブロックの判断を誤り、車の左底をガリッガリッとこすってしまいました。以前にも、サイドミラーを壁でこすり、傷ついたのでペンキを塗り、修理してもらったばかりでした。こちらとしては、また事故をしたのかと思われるのでは、と気が重く、続いて修理をたのむのはすまないなーという気分があり、躊躇しながらH社のKさんに電話しました。
“花川さん、そんな事故、よくあるんですよ”、重い気持ちが、一気に楽になりました。車を持って行くと、休日にもかかわらず、彼が待っていてくれました。
“私も同じような事故で、車の左の部分を傷つけたんですよ”
 
 
アップレイ整形外科教科書の中に、医師の問診の心得として“He can speak his words”という一文があります。問診の時、患者さんが安心して喋れるようにということだろうと、理解していました。医学生・研修医に教える時にこの一文を引用して、患者さんがリラックスし、普段話している言葉(方言)で話せるように、してあげなさいと、折に触れて言って来ました。しかし、今回のことで、患者さんの話を聴き、気持ちに寄り添った言葉をかけ、気持ちを楽にしてあげる大切さを学びました。
 
 
<追伸>
 日本整形外科学会発行「運動器慢性痛診療の手引き」を読みますと、これを「共感」と記しています。まだまだ、勉強、修行が足りないと痛感します。努力して前に進みたいと思います。
 
<追伸2>
 いよいよ15日(土)夜、西大寺会陽です。皆さん、お待ちしています。
 
   
院長のコラム 第13回
平成26年1月9日

「冬の朝」

指先の  冷たさで知る  氷点下


この句は数年前の冬、寒い朝の時につくったものです。
寒い朝、散歩に出かけると、手袋をしていても指先が冷たく、痛くなります。0度程度では冷たさ・痛さは軽く、散歩中に温まってきます。氷点下4度ですと、散歩中冷たい・痛いままです。
さて、皆さんは、寒さ以外に、“冬を感じるもの”にどんなものを思いますか?
私が散歩を想像しながら、思いつくままに挙げてみます。服装(ニットの帽子、マフラー、ネックウオーマー、手袋、ウインドブレーカー)、吐く息の白さと長さ、路上駐車のフロントグラスの氷結、枯れ葦、鴨の渡来、赤鮮やかな南天、枝だけの栴檀のシルエット、・・・・。今回、冬日の影で小さな発見をしました。


私は平日4時起床、その後散歩します。当然、あたりは真っ暗です。陽光の人影はできません。年末の休日、前夜の酒のせいで起床が遅く、8時半過ぎに散歩に出かけました。日の出から1時間以上経過していますが、太陽の位置は低いところにあります。寒い快晴の朝で冷え込みが強く、路上の車のフロントグラスには氷結が起きていました。吐く息は白く、1m弱の長さです。いつもの第一勤行(トレーニング)の場所で、手足を伸ばす運動をしている時、自分の影が道路(立つ位置と同じ平面)に映り、約5mぐらいあるのに気づきました。次の勤行の場所は、田んぼの傍です。そこでも勤行を始めました。田んぼは、私が立つ道路よりも低い(約1m弱)ので、影の長さは10m余の感じになります。田んぼには霜が降り、一面が白で、影も鮮明です。手足を伸ばす運動をしていると、さながら影が霜田で踊っているように見えます。面白く、嬉しくなりました。ふく(愛犬)の影は、猪に見えます。今までなんとなく見逃していたことを発見して、心が温かくなりました。
 
   
霜の田に  10m余の   影踊る

ふく猪  私は巨人  冬の朝


<追伸>
影は電燈、街灯、車のライトでもできます。
長い影、短い影、濃い影、淡い影、いろいろあります。
楽しんでみてください。
   
院長のコラム 第12回
平成25年12月13日
 
「鍋料理」
 
 鍋料理も世界無形文化遺産です
先日朝(12月6日)の“おはようパーソナリティー道上洋三です”の話
昨晩、道上さん、てっちりを食べました。いいふぐで、大変おいしかったそうです。
朝6時半すぎ、私は出勤途中、ドライブしながら話を聞いていました。
時系列で道上さんの話をまとめてみます。
・いいふぐは、周防灘、防府の沖合でとれるのが極上です。
・いいカニもそうだが、いいふぐは、身が厚く、身離れがよい。
・いいふぐは、食べ時がある。ふぐの身が、煮えてくると少し膨らんだ状態になる。その時(ピンポイント)をのがすと、身が硬くなる。
・酒飲みは、酒を口にし、話に気持ちが向かう為、このピンポイントを逃す。
・だから、一番のころあいに、下戸の道上さん、一人一人にふぐ、野菜を盛り付け食べてもらう。
・ところが、酒飲みはペースが狂うと、文句を言う。
・そんなんなら、一人鍋で食べたらいい。ちりめんじゃこ鍋でも食べなさい。
 
 
その時、鍋料理の達人、大先輩O先生のきりたんぽ鍋を思い出しました。私はきりたんぽ鍋は、もともと米、餅が大好きですから、好きではありますが、格別おいしいとは思っていませんでした。たいていは、きりたんぽが溶けている状態で食べていたように思います。そのように、O先生に言った時、“花川、おいしいきりたんぽ鍋を食べさしてやる”と返されました。O先生の自宅で、きりたんぽ鍋をごちそうになりました。うまい、しあわせの一言です。考えてみると、O先生は、秋田県から極上の材料を取り寄せ、料理をしてくださってはいます。しかし、道上洋三さんの話で、O先生の作る鍋のすばらしさの秘密を、“そうか、納得”をしたのでした。O先生は、鍋を自分の前に置き、先生が決めた順番に具材を入れてゆきます(煮える時間を考えての事と思います)。きりたんぽ、比内鳥、野菜の一番食べ時の時に、一人一人に盛り付けをしてくださり、食べさせてくださっていたのでした。すべての食材の煮上がり時を見極め、最も味のよい時をのがさず、盛り付けする、この極意をO先生はしっかりと知っておられるのだなーと思いました。“鍋はお互いがつつきながら、食べる” 程度の考えの私には、とてもできない達人の業です。究極の“お・も・て・な・し”です。
<追伸>冬は鍋です。皆さんも、酒に向かわず(自戒をこめて)、ピンポイントの鍋料理を楽しんでください。
   
院長のコラム 第11回

平成25年11月11日

「愛燦
燦」

先日
テレビ歌謡番組で、小林旭が、<昔の名前で出ています>の詞の誕生の話を楽しそうに語っていました。「星野哲郎先生が、なじみの銀座のホステスが地方にいるという話から、この詞ができたそうです」

 

 

そういえば、<愛燦燦>も、秘話があったなーと思い出しました。

 

 

 

雨 潸潸(さんさん)と・・・、風 散散と・・・、愛 燦燦(さんさん)と・・

 

 

 

この歌が味の素のコマーシャルソング(1987年)であったことを知ったのは、朝日新聞 Be20101211日)の記事でした。紹介しますと

ホリプロの若き映像プロデューサー Iさんはまず、コマーシャルに使う映像をハワイで撮影し、その映像にふさわしいコマーシャルソングを考えていました。作詞・作曲は、以前仕事を組んだ小椋 佳と決めていました。歌手は誰にするか? 「和田アキ子?、森昌子?、石川さゆり?・・・・・」どうしても、この映像に合わない、映像の中の大家族を支える気丈な母親像には、美空ひばりしかいないと考えました。日本の大歌手、昭和の大歌手美空ひばりに無謀にも、依頼しましたが、最初は良い返事が貰えませんでした。とにかく、ひばりさんにこの映像を見てほしいと頼み込みました。しばらくして、「ひばりがあの映像をすごく気に入っている」との返事があり、歌手が決定しました。すぐ小椋 佳に作詞・作曲を依頼しました。最初の曲は、テンポが軽やかで、もっと包容力がほしいと、没、2作目を待ちました。できたのが、あの名曲<愛燦燦>です。

レコーディングの秘話がおもしろく書かれていました。

ひばりのレコーディングは昼間と決まっていたそうです。愛燦燦に先立って、アルバム「旅ひととせ」のレコーディングがあった時の話です。小椋 佳は当時売れっ子の作詞・作曲者でしたが、まだ第一勧業銀行に勤めていました。昼間は当然“おつとめ”です。

ひばりは録音直前の作家の意見を大切にしていたそうです。

ひばりは不機嫌に「なぜ、作家(小椋 佳)が来ないのか?」と担当者に尋ねました。担当者が「おつとめです」と返事、ひばりは「大変なのねえ」と、気の毒そうな顔をしたそうです。ひばりは、小椋が銀行員であることを知らず、“おつとめ”を刑に服する意味に誤解したのです。10日後の愛燦燦のレコーディングンは、彼に合わせて、ひばりには異例の夜間にしたそうです。

 

 

 

歌は、その誕生の背景を知ると、味わいがより深くなります。

 

 

 

《後日談》ひばりの息子さん、加藤和也さんの話。

「母はこの歌を、大変気に入っていました。歌手ひばりの我が無い。何のこだわりもない。ただ自然に自由に歌っている。僕はあの歌におふくろの加藤和枝を感じます」

 

 

 

<追伸>
味の素 愛燦燦 美空ひばり で検索、you  tubeでこの映像をお楽しみください。

   
院長のコラム 第10回
平成25年10月10日


「縁」

岡山西大寺病院に赴任して、まず西大寺観音院にお参りしました。ご本尊さまは、

千手観音、“オンバザラタマラキリクソワカ”の御真言を唱え、病院の安寧と、家族の健康を祈願しました。

45年ぶりの境内です。記憶していたよりも、少し狭い印象でした。それ以後、毎月一回参拝しています。

 

45年前、会陽に参加しました。大学2年生の時、柔道部のA君に誘われ、まわし姿で、境内に入り小さな池で、まず身を清めたように思います。私は野球部で、胸囲、ヒップ周りは1mを超えていて、ある程度身体には自信がありました。しかし、境内を見回すと、ほとんど私よりもごつく、一緒にいっていた柔道部のA君が普通ぐらいでした。筋骨隆々の人ばかりで、私などは貧弱な方です。裸の群れの中に入り、どんな声だったか忘れましたが、叫び続けたように思います。今、3つのことを思い出します。一つは、宣伝写真でも見るように、裸の群れが皆手を挙げていることです。手を下げると、次第に身体が下に、下に沈み込んでいってしまうのです。あわてて、手を挙げました。恐ろしいと思いました。2つ目は、皆が“水、水”と叫んでいました。裸と裸、皮膚と皮膚が擦れ合うと、摩擦が起き、熱を持ち、皮膚が剥け,痛いのです。水が掛かると水蒸気があがり、皮膚が滑らかになり、灼熱感もとれ、気持ちが落ち着きます。3つ目は、これは恐ろしかった。宝木が投げ入れられる本堂の床に入って、天井を見たら沢山の人たちが、柱にへばりつくように待機しています。宝木が投げ入れた瞬間、宝木の所に上から飛び込み、獲得するためだそうです。投げ入れの時間が近付くと、宝木を本格的に獲得しようと狙っている人たちは、本堂に集まってくるので、私たちのようなものは次第に外へ押し出されました。宝木が投げ入れられる直前?直後?にライトが消され、投げ入れられた後の獲得の壮絶さに圧倒されたのを鮮明に覚えています。

 

西大寺会陽は、今年で504回目の歴史ある日本の3大奇祭です。今年は約9000人の裸が集まりました。

46年ぶりに、来年は外から楽しみたいと思います。

 

   
※写真上でクリックすると西大寺会陽のページが表示されます。
   
 
 <追伸>
これは昔の会陽で、現在は安全に運営されています。皆さんもぜひ、西大寺会陽を見に来てください。来年は、2月15日(土)夜です。

   
院長のコラム 第9回

平成25年9月15日

「招き猫体操」

今回は大腿四頭筋訓練を紹介します。“脚みがき”の中で最も大切な運動です。「転倒予防教室」「寝たきり予防教室」などで、歩行能力を向上、維持するのに大切な筋肉として、この訓練は取り入れられています。また、膝の痛みをとるのにも最もよい治療法として、広く認められています。

大腿四頭筋は、ふとももの前の筋肉で、膝関節を伸ばします(伸展)。病院のリハビリテーション室で、足首に重しをつけて膝関節を伸ばしているのを見られた方が多いのではないでしょうか。下肢筋力強化プログラムの中心になる筋肉です。

まず一般的な大腿四頭筋訓練を紹介します。

詳細なやり方は、ロコトレ(院長コラム 第3回)の中に紹介されています。

 

A.通常の大腿四頭筋訓練(右脚の場合)

   
椅子に浅く腰掛け、左脚は床につけておきます。両脚を同時に上げると、腰が痛くなる場合がありますので、しないでください。右のふとももは椅子の上に置いたまま、膝を完全に伸ばします(脚を高く上げない)。大切なことは、しっかりと膝を伸ばし、その状態をある時間保持することです。保持時間、一回の回数、一日の頻度は各人が自分の状況で決めてください。重しの使用は、最初はしない方がよいと思います

   
 B. さて、今度は私が患者様に長年指導してきた招き猫体操について紹介します。
招き猫体操は、この一般的な大腿四頭筋訓練に、腕の運動を組み合わせた方法です。
図を用いて説明します。

   
1.基本姿勢
  両手をふとももの上に置く。
   背筋をのばす。

 

右肘を曲げ脇を締め、
   上肢に力を入れる。

 
 3.左膝をしっかり伸ばす。
   (完全伸展位)
    足関節は下向き。
   (底屈位)

 
 4.膝は伸ばしたままで、
   左足関節をそらせる。
    (背屈位)

   この状態を3秒間
     自分できめてください。
   5秒間でもかまいません。
   
 5.左上肢―右下肢の組み合わせで行う。


基本回数
1セットにつき 10回 一日3回  右上肢―左下肢、左上肢―右下肢で1
右、左で一日 30

なぜ、手と組み合わせて?と思われるでしょう。上肢と連動することで、「歩く感覚」、「体幹が安定し、力が入りやすい」という、利点があります。足首を反らすこと(背屈)で下腿・足の静脈・体液の流れを良くし、下腿・足のむくみ(夕方になると靴下がくいこむ)予防・治療にもなります。

ぜひ、毎日の運動に取り入れて、行ってみてください。

<
追伸>
金欠の人は、手を招き猫のようにしてみてください。金運がつきます。

   
院長のコラム 第8回
 平成25年8月15日

西大寺健康ふれあい祭り
 
7月27日(土)の夕方、盛全会(岡山西大寺病院、老健施設:日立養力センター)の夏祭りが日立養力(ひだちようりき)センターでありました。変わった名前と思われると思います。この施設名は盛全会 前理事長 故高取 正昭先生が命名したものです。日立は「ひだちがよい」のひだちです。養力は、漢字のまま「ちからをやしなう」の意味がこめられています。
 
祭りは3部からなり、
1.西大寺の介護考える 
2.水前寺清子のトークショー 
3.盆踊りと花火大会 となっています。
2.3.が主体です。日立養力センターに入所の人と、その家族のみのお祭りで、お世話は盛全会の職員です。
 
私は、水前寺清子さんはどんなんだろう と大変興味をもっていました。私(66歳)と、同世代の人だからです。写真は、トークショーの前に撮影したものです。
この時、控え室から彼女が出てきたときの姿勢は前かがみ、小幅歩行で、<これは、年齢相応になっている>と感じました。

しばらくして、トークショウが始まりました。
花道?を歩きながら舞台に進むのですが、次第に姿勢が良くなり、舞台で“365歩のマーチ”を歌い始めたら、ぴしっと背は伸び、胸を張り、顔全体は笑顔ですが、眼はいい意味で“鋭い目”になっていました。眼光は人を圧倒する、鋭さ・強さがあります。声の張り、艶、これが大歌手か、とうならせるものでした。45分の舞台で6曲,なかでも“お父さん”の歌は初めて聴きましたが、感動しました。

本物のプロを満喫しました。 
 
 
西大寺健康ふれあい祭り2013
                 水前寺清子さんとスタッフ
 
<追伸>
小林理事長 談:来年は大物男性歌手を予定、乞うご期待

   
院長のコラム 第7回 特別編
平成25年8月1日

「エフエム岡山 腰みがき」

7月19日(金)午後、エフエム岡山のラジオ番組ドリームファクトリー(キャスター 牛嶋俊明)の中のドリームトークという30分弱の番組に出演しました。NTTクレドビル11階のスタジオで生放送です。前半は岡山西大寺病院について、歌(いるか なごり雪)を挟んで、後半は私についてでした。

人生初めてのことで、前半は緊張のしっぱなしで、声が裏返っていました。後半は幾分落ち着き、牛嶋さんの“これからの夢は”の質問に<腰みがき、脚みがき>を西大寺地区にひろめ、健康老年の延伸を図りたいと話しました。

<腰みがき>について今回お話します。この言葉は、福島県立医大、白土教授が提唱し、普及を図っています。これは、腰痛、特に老人の変形性脊椎症の慢性腰痛の治療、予防に取り入れられています。ロコモチャレンジの中にも入っています。

<腰みがき>は以下の10か条から成ります。

-腰みがき10か条-
1.  背筋を伸ばす
2.  おなかに力を入れる(立ち姿勢)
3.  お尻をすぼめる(立ち姿勢)
4.  膝を軽く曲げる(立ち姿勢)
5.  いすには深く腰掛け、机に近づく
6.  膝を曲げて寝る
7.  うつぶせに寝ない
8.  膝を曲げて荷物を持ち上げる
9.  急に体をひねらない
10.   毎日かかさず運動を

このうちトレーニングとして行うのは、1、2、3です。そして10の毎日かかさず運動をすることが大切です。4から9は日常生活での注意です。

1は胸をはり、姿勢をよくすることです。良い姿勢は横から見て、胸をはり、耳、肩前部、膝、足首がほぼ一直線上にあり、脊柱のカーブが過度に曲していない状態にあります。(図1)良い姿勢と楽な姿勢は異なり、楽な姿勢になりますと、胸のはりがなくなり前傾姿勢(背中が円くなる)になりがちです。
2.は腹筋に力をいれることです。
3.は骨盤筋、とくに大殿筋(お尻の筋肉:お尻に手をあててこの筋肉を収縮させると手に感じます。)を収縮させ股関節の伸展(のばす)させることです。

姿勢が悪くなったり、老人になりますと、股関節、膝関節が曲がった状態(図2)になりますので股関節の伸展訓練は大変重要です。この3つの運動を10秒間維持、それを一日最低3回、私は行っています。毎日、腰にいたわりの心を向け、トレーニングを継続してゆくことが大切です。
   
院長のコラム 第6回
平成25年7月17日

「老人骨折の治療の進歩 - 一つの技術開発」

皆さん、骨粗鬆症という言葉については、よく聞くと思います。専門的な定義は「骨強度の低下を特徴とし、骨折のリスクが増大しやすくなる骨格疾患」です。

では、骨粗鬆症で何が一番怖いのでしょう?それは骨折です。骨折が起きたとき、骨粗鬆症が怖い理由は、手術の時、スクリューなどの固定力が弱いからです。従来の手術器具では、「糖に釘の状態、あるいはトーフに釘の状態」の固定しかできない症例がありました。

骨粗鬆症を基盤にする骨折の中に、腕のつけね(上腕骨近位部骨折)、手首(橈骨遠位端骨折)の骨折があります。これらの骨折は、従来保存的に治療する割合が高かった骨折です。しかし、その方法では上肢、手の機能障害が怖く、何かよい固定方法がないかという時代が続きました。しかし、ロッキングプレートが開発、導入され、その固定力は飛躍的に向上しました。このプレートの特徴はプレートにスクリューをねじで固定(ロッキング)でき、プレートとスクリューが一体化できたことです。従来のプレートにはこの機能はありませんでした。
   

固定強度が飛躍的に向上したため、これらの骨折を手術することが多くなりました。手術、そして積極的なリハビリテーションで機能低下を起こさない治療法が、現在主流です。

一つの技術開発が、老人骨折の治療に福音をもたらしています。
   
院長のコラム 第5回
平成25年6月18日(火)

「恩師T先生」

岡山大学整形外科学教室開講60周年記念行事の一環の座談会で、T先生の頃のカンファレンスの風景を話す機会がありました。人間教育を基本に、厳しく指導していただきました。いろいろな思い出がありますが、そのうちのいくつかを紹介します。

『医者である前に常識ある社会人であれ』
M先生が大学院生のころの出来事。学生がポリクリ(臨床実習)で整形外科に回ってきたときの朝のカンファレンス。彼が症例の供覧をし始めたとき、彼の白衣のポケットにはティッシュペーパーが箱ごと入っていました。風邪をひいていました。白衣のボタンを外したまま、前がはだけた状態でした。
T先生、「学生諸君、これが医者に見えるか。M!、きちんと服をせー」。


『李下に冠を正さず』
その頃も今と同様に、職員の駐車場が少ない状態でした。当然患者様の駐車場に医療関係者が駐車することは厳禁でした。ある朝、カンファレンスに遅れそうになったC先生は、つい近くの患者様用駐車場に駐車してしまい、カンファレンスに出ました。その行動をT先生が見ていました。(運の悪い!)その時も、学生が来ていたと思います。症例供覧、手術の人員配置の手配なども済み、カンファレンスが終わりかけた時、T先生「C!<李下に冠を正さず>という言葉を知っているか。おまえは今日、患者さんの駐車場に車を止めた。我々医師はエリートじゃ。人の規範とならにゃーいけん。人に疑われるだけでも恥と思え」。


『レントゲンの見方-まず全体を見よ、そして患部を』
T先生のXP(レントゲン写真)への考えは常に同じでした。正しい方向で、きれいに撮られたフィルムが基本でした。一枚のXPフィルムの中にある情報を大切にされました。このことでの質問・尋問は全員が受けました。その追求はとても厳しく、容赦はありませんでした。「おい、花川、腹の白い影はなんなら?」花川「?」答えられない。フィルムは大腿骨頸部骨折症例(股の骨折)、腹に私の注意はありません。宿題です。


『カンファレンスでの楽しい思い出』
40代男性の股関節正面のレントゲン像をS先生が供覧しました。その股関節フィルムには、陰嚢保護(精子保護)のためにプロテクターがかけられて撮影されていました。「S、なんでプロテクターをかけて撮ったんじゃ。肝心のところが見えん。40歳を過ぎて子供を作るような好き者はおらん。撮りなおせ」。ちょうどT先生の真後ろに私は座っていました。私は当時41歳、末っ子が生まれたところでした。無言でT先生の左肩を2、3度叩きました。T先生が振り向かれました。私は右手で自分を指しました。T先生立ち上がり最敬礼、「失礼しました」全員大笑い。


こうして思い出をたどってみて、改めてT先生のありがたさを思います。<老いて学べば、死して朽ちず>と、今も本を離されない姿を見ると、自分の未熟さを痛感します。未熟ということは、まだ足りない、努力しなさいということだと思います。とてもT先生の域には届きませんが、努力し、進みたいと思っています。


   
院長のコラム 第4回
平成25年5月27日(月)

「今回は軽く、酒のおはなし」

数年前、出勤で朝、家をでる時間が6時35分から6時25分に変わった。

きっかけは、6時28分頃ラジオから流れる、西田佐知子のコマーシャルソング『いつもの街で』を聴くためである。6時35分の時は、NHKFMでクラシック、6時43分頃から「ビジネス展望」、そして6時52分頃から「今日は何の日」を聴く頃には病院につくパターンであった。
ある日、偶然、この『いつもの街で』の歌を朝日放送で聴いた。久しぶりに西田佐知子の澄んだ声、そして鼻にかかった歌い方、“よし、これからはこの歌を聴きながら通勤しよう”と決めた。
この歌は、菊正宗という日本酒のコマーシャルソングである。待てよ、そう言えば、酒のコマーシャルソングはいろいろあるぞ、という興味が急に湧いてきた。
調べてみると、あるある。まず、最近復活した『ウィスキーがお好きでしょう:歌SAYURI』。最初は、サントリークレスト12年のコマーシャルソングであったが、2007年、サントリー角瓶・ハイボールの歌として流れた。小雪の色っぽい表情が結構評判をとった。菅野美穂に代わって、明るくコミックな映像になった。石川さゆりが歌っていたとは最近まで知らなかった。サントリーといえば、私たち青春の頃、口にはめったに出来なかったサントリーオールドのソング、『人間みんな兄弟:小林亜星 作詞・作曲』、don don・・・・・もいい歌だった。
日本酒は昔から、大物を使った映像・歌が流されている。石原裕次郎、渡哲也などが最たるものである。氷川きよしが宣伝する白鶴酒造「まる」の映像を見てみると、その料理の豪華さに目が奪われ酒の宣伝が二の次になっているように感じるのは私だけか?
歌と酒、時代と共に流れ、最近は焼酎のコマーシャルが勢いを増している。演歌大好き、昭和人間の私が最も好きなコマーシャルソングは『酒は大関こころいき』である。加藤登紀子もいいが、田宮二郎もいい。すべての歌詞(ことば)がずんと心にしみる。
さぁ、今夜も日本酒片手に歌いまくるぞ!!

<追伸>
西田佐知子の歌の後、6時30分からの『おはよーパーソナリティ 道上洋三です』(朝日放送)は大変楽しいですよ。
   
院長のコラム 第3回
平成25年5月10日(金)

「さあ、今からトレーニングを始めましょう。」

年をとって、トレーニングをしても筋肉は強くならんと思っている人、間違いですよ。
確かに、筋肉の量でみますと、20歳代を1としますと、40歳代で0.7、80歳代になりますと0.5にもなります。半分になるのです。

世間では年をとって運動をしても効果はないと長年考えられていました。ところが、嬉しい報告がたくさんでてきました。90歳代以上の超高齢者であっても筋力トレーニングにより筋力増強が認められたとの報告もあります。若い人同様、高齢者にあっても筋力トレーニングによって、筋力低下を防ぐだけでなく、筋力増加、筋の肥大も可能であることが続々実証されてきています。

さて、運動をほとんどしてこなかった人が、今日からどのような運動をしたらと考えたとき、

「ロコモチャレンジ!推進協議会」のホームページがとっつきやすいと思います。

この協議会は、日本整形外科学会がロコモティブシンドロームを啓発し、ロコモティブシンドロームに負けない社会をつくるため、2010年8月に立ち上げました。

『「ロコモ」を調べて予防しよう』の項に、
「ロコチェック」 「始めようロコトレ」 「ロコモの予防と栄養」 「ロコモ問診表」
がわかりやすく書かれています。

ロコトレを紹介しますと、その基本運動は開眼片脚立ち、スクワットです。

安全に行うための方法が説明されています。「その他の運動」も紹介されています。基本(開眼片脚立ち、スクワット)を柱に、「その他の運動」を上手に組み合わせて、楽に、安全に継続的に運動(トレーニング)を楽しんでください。

なんだ、こんな楽な運動かと思われる人もいると思いますが、先ず始め、続けることが大切です。皆さんは食後に歯磨きをされると思います。それは、日常のこととして行っていると思います。『歯磨き』と同じように、ロコトレを日常のものとして身に着けてください。

糖尿病、高血圧、骨粗しょう症、認知症、高脂血症、脊椎圧迫骨折、大腿骨頚部骨折・・・・・これらの疾患の予防・治療に共通するものは?

答えは運動(トレーニング)です。
さあ、今日から運動(トレーニング)を始めましょう。

5月の薫風を体いっぱいに感じて!!
   
   
院長のコラム 第2回
2013年4月16日(火)

私の彼は左利き(古いなー!!!)
私は、野球は右投げ、箸も右ですが、走り幅跳びの踏切足は左です。サーカーボールは右足で蹴ります。

利き手は3〜4歳で決まるといわれています。しかし、利き手がどのように決まるか、右利きのひとが圧倒的に多いなどについて、科学的根拠はいまだありません。
脚にについては、軸足、利き足という言葉があります。ボールを蹴る足でないほうを軸足と言います。

数年前から、いつもの勤行に加えて、1週間ごとに日常生活で右、左を変えて行動することにしました。右の週の朝の勤行開始、起床後、まず右脚からズボンを通します。ウィンドブレーカーも右腕から袖を通します。靴下も右から履きます。靴も右足から履きます。ジョギングも右脚から前に出します。ストレッチングも右から行います。次の週には、これがすべて逆、左側から始まります。続けているうちに、奇妙な不自然さに気づきました。

右利きの上肢は、使い続けているせいか、例えば左手でボールを投げろ、左手の箸で物を食えと言われたら、即座に難しい、やりにくいと思うでしょう。
ところが、服を着たり、靴を履いたりという日常動作については、私と同じで、皆さんも意識していないと思います。

私の場合、上着も下着も、着るときは、左側から始めるのが、60年来の習慣であることに気づきました。上着を右から袖を通しますと、左側がやりにくく、滑らかにゆきません。靴を履くときは、やはり左側から履き、右側から履くとバランスを崩すことが時々ありました。
この勤行を始めて数年たちますが、次第に慣れ、上手になって、身体のバランスがよくなってきたように思います。

リハビリテーションでは、左右対称の運動を多く取り入れています。転倒予防の運動も、左右対称の運動がほとんどです。左右の上・下肢を均等に鍛えることで、左右の脳を同じように賦活することができ、認知症予防効果もあります。

若い皆さんも、今週のデート(古いなー!!)では、彼女と左手で腕を組んで、来週は右手でと、やってみてはどうですか。フレッシュな気分になりますよ。

『 追伸 』
私は家内と36年間一度も手を組んで歩いたことはありません。

が、

ラブラブです。

   
院長のコラム 第1回
2013年4月8日(月)

はじめまして、院長に就任いたしました花川です。これから、皆さんと共に「明るく、軽く、元気よく」歩んでいきます。

皆さん、「ロコモティブシンドローム」という言葉を聞いたことがありますか。耳慣れない言葉でしょうか。ロコモティブシンドロームとは運動器の障害により要介護になるリスクが高い状態になることです。日本整形外科学会が2007年に新たに提唱しました。年をとり、足腰が弱くなって、次第に歩行困難となり、いずれ寝たきりになる危険性の高い状態です。

この足腰が弱くなる原因には、足腰自体の病気、そして加齢による足腰の弱化の2つがあります。皆さんの知っている身近な病気の名前を挙げますと、変形性脊椎症、骨粗しょう症、変形性関節症、脊柱管狭窄症、関節リウマチなどです。変形性関節症と骨粗しょう症に限っても、推定患者数は4,700万人と言われています。まさに、60歳を超えると皆さんロコモティブシンドロームの危険性があるのです。このロコモティブシンドロームに陥らないためのトレーニングを日本整形外科学会では「ロコトレ」と名づけ、広く普及を目指しています。

ロコトレを分かりやすく言いますと、皆さんは毎日ご飯を食べ、歯磨きをしますね。足腰の衰え防止も同じことです。毎日、少しずつ鍛えること、すなわち皆さん自身が「腰磨き、脚磨き」を毎日することこそ、ロコモティブシンドローム予防なのです。毎日すること、続けることが大切なのです。

ロコモティブシンドロームに皆さんが陥らないよう、ロコトレ「腰磨き、脚磨き」を取り入れた運動を一緒にやっていきましょう。

 
 
 

 
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